明治9年の日米決戦 3

最も古い日米野球の記録は、明治9年(1876)の初夏に改姓学校で行われたことは既に紹介しました。その後、野球史を研究している方から新たな情報をいただきました。なんと米国は8名で試合に挑んだようです。

試合は、横浜から出でてきた人達の帰りの汽車の都合もあり7回で終了し、米国が3411で勝利をおさめました。 

後攻の開成学校の学生チームは、[打順(守備)氏名(満年齢 出身地)]
一番(一塁)石藤 豊太          17 1859-1945年 広島県
二番(左翼)野本 彦一          18 1858-?    広島県
三番(遊撃)山 元           18 1857-1918年 福井県
四番(中堅)来原彦太郎          19 1857-1917年 山口県
五番(右翼)田上 省三          21 1854-    岡山県
六番(三塁)本山 正久          18 1857-    東京都
七番(捕手)木元五郎          21 1854-1932年 栃木県
八番(投手)久米 祐吉          21 1854-    岐阜県
九番(二塁)佐々木忠次郎         19 1857-1938年 福井県

先攻の外国チームの選手から紹介しよう。[打順(守備)氏名(満年齢)当時の住所]
一番(二塁)エドワード・H・マジェット     24 1852-1909年 東京
二番(遊撃)フランク・M・レーシー       歳不明 ?-?       東京
三番(左翼)ホーレス・E・ウイルソン      33 1843-1927年 東京
四番(捕手)ヘンリー・W・デニソン       30 1846-1914年 横浜
五番(一塁)C・E・チャーチル          歳不明 ?-?       横浜
六番(三塁)オスマン・ M・レーシー      20 1856-     東京
七番(投手)サムエル・D・ヘップバーン     32 1844-1922年 横浜
八番(右翼)デュラハム・W・スティーブンス   24 1852-     東京

初期の日本人選手 この試合の選手達以外でも、開成学校の野球を経験した人は多く知られています。

福島廉平、高須碌郎、秋山源蔵、馬場信倫、小藤文次郎、中澤岩太、平賀義美、千頭清臣、谷田部梅吉、五代龍作、大久保利和、牧野伸顕、喜多村彌太郎、田中舘愛橘なども名前があるようです。

また、当時の開成学校では、飯島魁、高松豊吉、山岡義五郎など、『皆がベースボールを盛んにやった』と言われるほどに、野球は人気となっていたようです。

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