凱歌


 大正12年制定。元歌は第二高等學校大正6年第二部凱歌「湧きて溢る八百潮に」である。作詞は本校卒業生・玉懸圭治氏(二高生)と伝える。作曲者も福中卒の二高生の可能性あり。(二高の資料では、山川潔とされているがペンネームの可能性がある)

 
ストームで歌う時のテンポは最高である。基本的には優勝の時にかみしめるように歌う。暑中行軍の際には到着地点で歌う。90周年記念CDにも収録されている。CDでは「城下にちかう」と歌われているが、「城下にちこう」が正しい。

 二高の原曲では、「見よや・・・」の部分が高音で歌われているが、応援歌としてがなり立てるには不都合だったので編曲したように聞き及んでいる。



臥薪の夢に耽ること
ここに重ねて幾星霜
伏龍一度立ち征けば
城下に誓う敵の軍
見よや我らの勝ち得たる
月の桂の輝くを

友よ誉れは我にあり
歌わざらめや勝ちの曲
若き命の美酒を
汲みて踊らん覇者の舞
見よや山河もひれ伏して
我ら選手にことぶくを





元歌 凱歌

   凱歌のことども (玉懸圭治)  60周年記念誌より抜粋

 大正11年頃の夏、福中5年の柏田四郎氏から応援団用の凱歌がないから歌詞と曲を作って欲しい言ってきた。俺は自分の拙さを省みず「臥薪の夢に耽ること・・・・」の歌を作り、曲は第二高等学校の凱歌の曲をつけてやった。俺は招かれて応援団の前でその歌を唄わされたり、二高独特のタンツエン(独逸語で踊る独特な踊り。勝ったときに踊り狂う特殊な踊り)を実演させられたりした。
 当時の二高は一高(東京)、三高(京都)とボートレースで隅田川で覇を争い、俺も応援に行って二年連勝でこの凱歌に相手を顔色なからしめ東京市中を鼻高らかに歩いたものだが、その二高の勝利にあやかって福中も勝ってほしいとの一念からその曲を採ったのだった。その年福中野球部は中津川投手で甲子園出場。間もなく戸来君のいわゆる黄金時代が来たのだった。
 この凱歌の他にもう一つ俺の作ったものがある。「緑も深き福陵の・・・・・」という応援歌である。数年後の作である。終戦後に新制中学ができ、某中学校ではあの歌詞の「福陵」の二字だけを自校の名に変更して採用しているが、よほど気に入った歌詞だと見える。


*****
管理人注釈*****

 玉懸圭治氏は、大正8年3月福中卒。大正13年第二高等学校卒。後に東北大学哲学科聴講生。郷里に帰り二戸郡金田一村教育長を務めた。
 上の文中、中津川投手で甲子園出場となっているが、中津川投手が卒業後2年目で甲子園出場を果たしている。中津川投手時代に初めて夏の甲子園予選に出場したこと(大正13年)と混同したのかもしれない。
 また、大正11年は柏田四郎氏は福中3年であり応援団組織ができたのは大正12年の夏である。そして、この大正12年は甲子園予選に出場を希望しながらも締め切りに間に合わず不参加になってしまった年でもある。不参加にはなったが、生徒間では大会に出場する選手を勇気づけようとして応援団組織が作られた。(初代・山岡米蔵団長)
 つまり、大正12年夏に福中4年の柏田四郎氏が次年度(大正13年度)の野球部の勝利を願って、同郷の先輩である玉懸圭治氏に凱歌の制作を依頼したと思われる。
(柏田四郎氏は大正13年度の応援団副団長)

 管理人としては、こと細かい間違いを指摘するのが本意ではない。後世の人間に、応援歌などの作られた経緯を調べる資料を残してくれた先人の業績は決して色あせることは無いのである。

 



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