暑中行軍

昭和36年の夏以来、甲子園出場が遠ざかっていた。その野球部を奮い立たせようと応援団幹事が音頭を取り、盛岡まで歩いて応援に行く事となった。野球部と苦しさを分かち合うために昭和49年ごろに復活したといわれる。

古くは昭和14年ごろの応援団幹事が始めたものだが、戦争の悪化で数年で中止となっていたものである。「福中の優勝間違いなし」と言われた昭和14年に、地元開催(岩手県盛岡市)の会場まで、電車や自転車、徒歩などで球場入りしたとの伝説を復活したものである。 

 以来、有志に受け継がれている。盛岡まで距離にして約80km。初戦が紫波とか花巻の球場だったなら100km以上の行軍になる。

 通常は、初戦の二日前に出発する。正門前で「遠征歌」を歌い、生徒有志からの見送りを受ける。建前上は学校非公認の行動であるので教職員からは歓迎されない。

 しかし、がんばれと言って差し入れをしてくれる先生もいる。到着は約24時間後。数時間の仮眠をとっただけで15時間以上歩くことになる。到着と同時に「凱歌」を歌う。先輩方も待っていてくれて一緒に歌うこともある。

 かつては、学校非公認の行事であり参加した者は停学処分になったが、これまで学校側が実力で阻止に出たことは一度もない。近年は学校公認の行事となり、校長以下の教職員、生徒の見送りを受けて出発する。

 昭和55年当時、本校卒業生の漫画家(漫画協会会長、絵本作家などでも有名)馬場のぼる先輩が「暑中行軍」と名付けた。当時の人気漫画「ドカベン」に出てくる、岩手代表の弁慶高校は本校の行軍にヒントを得て書かれたと言われている。

 都市伝説では、この行軍をもって「弁慶高校のモデルは福岡高校」とされているようだが、昭和50年代に在籍し、野球漫画ドカベンを愛読したものとして、弁慶高校のモデル校は盛岡一高だと断言したい。昭和53年の盛岡一高の甲子園出場が弁慶高校のヒントになったようだ。

 ただ、全く無関係とも言えないかもしれない。昭和54年秋に雑誌の取材があり、岩手の伝統校を取材し、弁慶高校は福岡高校のような言われ方をした。実際にそのような取材も受けたのを覚えている。




戻 る


県別全国高校野球史
戸田久 北緯40度盛岡冷麺 2食×10袋

inserted by FC2 system