福岡のカラス

 初代校長の青木欣四郎が福岡中学の模範として選んだのは会津中学であった。明治維新で賊軍の汚名を着せられ、返上に燃えていた会津中学の制服は紺の着物に袴であった。それ真似て福中の制服も着物に袴が採用された。学帽を被り、靴は短靴に脚絆をはいていた。

 この制服は当時としても珍しく各地から参観者がやってきた。しかし、生徒には不評であり、制服が不服でストライキが起こることもあった。その制服で盛岡や八戸へ行くと「福岡のカラス」がやってきたと言われて馬鹿にされた。

 生徒は、学校への通学は仕方ないのでこの制服で通学し、実家へ帰省する際には洋装と不便な生活であった。このカラス服は4年ほど採用されたが、世相の移り変わりと生徒の反発から廃止された。

 この当時の制服とは、現在のように毎日着用するものでなく、入学式、卒業式、修学旅行などの節目で着用するものであり、平時の服装は和装であった。




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