福中の礎を築いた青木欣四郎

明治342月に岩手県立福岡中学の校長に任命されたのは、青木欣四郎でした。祖父は南部藩槍術師範で、本人も明治9年には、仁王小学校で行われた天覧授業のメンバーに選ばれて、明治天皇の前で授業を受けた。

日本で初めての英検合格者の一人と言われ、長じて福井県武生中学の教諭となった。

明治342月、岩手県福岡中学校の校長に就任し「三綱五目」の校是を制定し、明治の二戸地方の高等教育の礎を築いた。福岡中学が開校することを知り、志願しての校長就任であった。下斗米将真に心酔し、福岡に来てからはその精神を引き継ぐ人材育成に情熱を注いだ。

大正2年に大阪四条畷中学校の校長に転任した。福岡を去る時は、多くのが別れを惜しんだと伝わっている。四条畷中学でも名物校長として知られた。

大正10年、軍艦浅間に乗船し世界周遊中にチリのバルパライソで死去。当時は各地の校長を乗船させ、軍艦での生活を体験してもらって優秀な生徒を集めようとしたものだった。

 遺品の一部は、「福岡がなつかしい」と言っていたことから、遺族を通して福岡中学に届けられた。本人はすでに亡くなっていたが、大東亜戦争中に未亡人は福岡中時代の縁を頼って石切所に疎開した。




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