私的二輪史研究
「日本のオートバイの歴史」

このページに対する問い合わせ、ご意見、ご感想などは
E−mail:xlh883@sage.ocn.ne.jp

宮田製作所 旭号



 世界のオートバイメーカーの中には、製銃工場から自転車工場へ、そしてオートバイ製作へと転身していった例が多い。これらと同等に並び称されるべき日本のオートバイメーカーが、宮田製作所(昭和38年より現在の宮田工業株式会社)である。

 宮田製作所は、1913(大正2)年には早くもトライアンフ(英)を模倣した試作車旭号を完成させ、1935(昭和10)年からは175ccアサヒ号軽オートバイの量産を開始した。戦前期の国産車ではトップメーカーだったと言っても過言ではない。アサヒ号は、戦後も逸早く復活し1962(昭和39)年まで生産が続けられた。この宮田製作所は、イギリスのBSAによく似た経歴をたどっている。

 昭和期に生産されたアサヒ号軽オートバイは、日系人の多いブラジルや影響力の強かった東南アジアへも輸出されていた。戦前のオートバイ製作会社の中で唯一企業の形態をなしていたメーカーでもある。

 
宮田製作所の前身は、初代宮田栄助(18401900)によって1881(明治14)年に東京京橋に開設された宮田製銃所である。宮田栄助とは、水戸藩の鉄砲指南役をつとめる国友家に師事して製銃技術を身につけ、常陸国笠間藩のお抱えとして苗字帯刀を得た鉄砲師であった。それが明治維新の廃藩置県(明治4年)により雇用を解かれ、上京して自営の製銃所を創業したものである。

 宮田栄助は自分の次男宮田政治郎(18651931、のちの二代目宮田栄助)を、明治9年から5年間、もと徳川家お抱えの鉄砲師、国友信之門下へ入門させている。国友信之とは前出の江州国友の家系をくむ名門の鉄砲鍛冶であり、維新後も東京銀座に製銃所を構えていた。この宮田政治郎が、明治の文明開化の洗礼を受け、製銃技術を基礎としてさまざまな新種機械の製作に挑戦し、やがて宮田製作所を時流に乗って発展させる中心人物となっていく。

 宮田製銃所と自転車とのかかわりは1989(明治22)年にはじまる。東京築地の居留地に住む外人が、近くにあった京橋区木挽町の宮田製銃所に当時最新の安全型自転車(現在の自転車と同様に前後輪同径の後輪駆動車)を一台持参し修理を依頼した。当時の東京で、輸入されたばかりの外国製自転車を修理できる手近なところといったら製銃所くらいしかなかったのである。この時すでに宮田政治郎は、大阪砲兵工廠への入所し軍用の潜水ポンプから羅針盤までの製作を経験していたので、自転車くらいならなんとか工夫して修理することができたという。

 このことが評判を呼び多くの外人が自転車の修理を持ち込むようになり、宮田製銃所では自転車修理が一種の副業のようになってしまった。これがきっかけとなり、自転車の将来性を予感した宮田政治郎は、1893(明治26)年に、最初の自転車を試作している。そして9年後の1902(明治35)年には猟銃製作部門の廃止に踏み切り、本格的な自転車製作に乗りだすことになる。

 当時の宮田製銃所は、製銃機械をそのまま流用して自転車を製作していたといわれる。明治期の村田銃の時代には、国産銃も欧米のものと同様に旋盤で穿孔して銃身を製作する鑽抜銃身が使用されていたが、この銃身がなんと、その長さや強度からして自転車フレーム用の素材鋼管としてそのまま流用できたのである。
 宮田製の自転車はアサヒ号とパーソン号というふたつの商標で国内販売され、明治末期には国産自転車のトップメーカーの地位を築いていた。宮田政治郎は、さらに新分野の開拓に意欲を燃やし四輪小型自動車を1909(明治42)年に試作。


 次いで旭号試作車を
1913(大正2)年に製作した。この旭号ではのエンジンから気化器までがすべて宮田製作所で自家製作されている。この旭号は名古屋の山田栄一氏から宮田製作所に寄贈されたトライアンフをモデルにして、同製作所の杉山鐘次郎を製作主任として完成させた。
 
 旭号の第一号車は480円で警視庁に納入されて時の大隈総理の護衛に使われた。1914 (大正3)年には国策である上野公園国産奨励会で金賞を受賞したが、1916(大正5)年には生産を中止している。
 
 大正2年という比較的早い時期に複雑な鋳造技術を必要とするエンジン部品を作ることができたのも、宮田製作所が精密な機械工作を得意としており、自転車製作の経験によって、鋳造、機械加工、焼入から、塗装、鍍金までを総合的にこなす進歩的な工場に成長していたからである。

 明治期の宮田製作所の発展の背景には、明治政府の富国強兵、殖産興業政策を受け、最新の輸入工作機械を購入して近代的な製銃工場を築き、さらに新しい分野に乗りだすという、明治ならではの進取の気鋭を見てとることができる。その技術力の基礎には、鉄砲鍛冶の伝統があったことも否定することはできない。
 

戻 る


VIDEO・DVD/DUCATI 3 VIDEO・DVD/History of the Chopper チョッパー職人の伝説
inserted by FC2 system