陸奥姉帯城

 姉帯城は中世南部氏の一族である姉帯氏の居城です。姉帯氏は姉帯に五百石の他に、盛岡の飯岡に千石の領地がありました。九戸南部氏とのつながりが深かったため、戦国時代末期の南部家領主をめぐる争いでは、九戸方の有力豪族として戦っています。

 天正19年(1591)、豊臣軍は九戸城攻略の前哨戦として姉帯城を攻撃しました。これに対して領主姉帯兼興・五郎兼信兄弟を中心とする姉帯勢が激突します。500人の兵力で、蒲生氏郷軍に一泡吹かせたと伝わります。

 姉帯城での攻防では、兼興の妻で長刀の名手・小滝の前、棒術の名手である小屋野などの奮闘も残っています。一族郎党が近隣の諸豪族ととに城にたてこもり応戦したものの、大半が討ち死にし落城してしまいました。

 江戸時代に書かれた『九戸軍談記』という書物で、九戸氏の先祖に関して、興味深い記述があります。九戸城の戦いの前哨戦である姉帯城の戦いの際に、政実同族の姉帯兼信が戦場で名乗りをあげたときの台詞がつたわります。

 「ゆふき惣大将小笠原美濃守正安が子孫左近将監正実が一類姉帯大学兼興が舎弟五郎兼信と申す者なり!」というものです。「ゆふき」というのは結城のことで、小笠原美濃守正安とは、小笠原政康のことです。この口上を信じれば、九戸氏の先祖は小笠原氏ということになります。

 姉帯城は、馬渕川北側の50m以上もの断崖の上に築られた典型的な山城で東西2つの郭(くるわ)から構成されています。西の郭は東西130m、南北60m、東端には幅10mを越す堀が二重にめぐり、東の郭と西の郭の間にも幅20m以上の大きな堀があり、この堀にそって西の郭に高さ2.7mの土塁が残っています。

 墓からは人骨や副葬された銅鏡・古銭、周辺からは鎧・槍先・刀・矢じりなどの武具が大量に出土しており、合戦の生々しさを伝えています。明国や国産の陶磁器、当時流行した茶の道具なども出土しており、戦国武将姉帯氏の勢力がわかります。





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