九戸政実物語  櫛引河内守清長

九戸政実と九戸城に籠もった櫛引河内守清長と弟左馬助清政は櫛引城の城主である。櫛引城の築城年間は不明だが、古い時代から交通の要衝であった。櫛引氏は初め根城南部氏に仕えていたが、三戸南部氏13代守行の頃には三戸南部氏を主と仰いでいた。

永禄十年(1567年)、櫛引氏が八戸政栄の留守中にその所領を侵略し、近隣に放火したため、元亀二年(1571年)、八戸氏の軍勢によって櫛引城は攻撃を受けた。東政勝が櫛引氏を支援したものの、櫛引勢は降伏した。

櫛引氏の本拠地には、南部一宮と言われる櫛引八幡宮がある。櫛引八幡宮の前名は、四戸八幡と称していた記録がある。三戸南部家24代晴政書状によれば、櫛引氏が剣吉に出動することを「四戸殿は戸内に馬を出す」などと書いている。

九戸と同じく、晴政派の武将だったのだ。と言うことは、三戸と五戸の中間に位置する浅水(五戸町)、剣吉・名久井(名川町)、苫米地、さらに東に伸びて櫛引・中野・島守・大森を含む、馬淵川下流域と浅水川流域は、四戸であったと想像される。

櫛引氏は、四戸氏の有力な一族であったのであろう。四戸一族からは、櫛引、中野、武田、金田一、足沢などの諸氏が出た。このなかでは櫛引氏が優勢で、南部信直方の八戸南部氏に対抗したと伝わっている。

天正十九年(1591年)に起きた、九戸政実の乱に際し、当主櫛引河内守清長と弟左馬助清政は九戸政実方に加担した。浅水城・苫米地城・根城・是川館の諸城館を攻撃したあとに九戸城に入城するが、羽柴秀次の率いる奥州再仕置軍との戦いで、櫛引清長は戦死した。

櫛引清政は九戸政実と共に降伏し、三迫松尾村(栗原市)で斬首されて櫛引氏は滅亡した。櫛引城もまた根城南部氏の攻撃を受けて敗れ去った。天正二十年(1592年)の「諸城破却書上」には、「櫛引 平城破代官桜庭将監」とあり破却された。




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