九戸政実物語  その1

 九戸政実は織豊時代の戦国武将です。「くのへ まさざね」と読みます。一般的には、陸奥の三戸南部氏支族と言われています。

 天正18年、豊臣秀吉に反抗しておきた大崎・葛西一揆をきっかけに南部氏に反旗を翻したと、勝者である三戸南部氏が伝えています。

  蒲生氏郷、浅野長政を中心とした秀吉軍に包囲され、天正1994日落城しました。伊達領の三迫まで護送され、豊臣秀次の目の前で斬首されたと伝わります。

  九戸城を本拠に数々の武勇を発揮し、北東北で有数の勢力を誇りました。しかし、南部宗家の後継者問題を機に南部家と対立します。

  天正19(1591)年、政実は5千の兵で蜂起しました。当初から九戸軍は戦いを有利に進め、苦戦した南部家当主信直から助けを求められた豊臣秀吉は討伐軍を編成します。

  豊臣秀吉は,豊臣秀次・徳川家康を総大将,浅野長政を軍監として蒲生氏郷・伊達政宗・石田三成以下を派遣しました。

  一説には、奥羽諸将も加えた6万5千の兵で九戸城を取り囲んだともいわれます。数日間の攻防の末、政実は「降伏と引き換えに城兵の命を救う」との討伐軍の和議を受け入れて投降します。

  政実は,誘降の謀計にかかり94日降伏しましたが,城兵5000はなで斬りにされ,政実らは護送の途中斬罪とされた。

  そんな九戸政実に関することを書き留めて行きたいと思っています。






 


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