日本が大東亜戦争に進んだ目的 

 日本が大東亜戦争に突き進んだ目的は、植民地主義の打倒であった。これは、インドネシアのサンバス将軍が語った言葉である。現在では、チャイナによるチベット、ウイグルの弾圧・搾取は酷くなる一方である。最近でも、南シナ海周辺に、海軍基地を増強している。これは東南アジア諸国への侵略である。

 なぜか日本の左翼はこのことを語らない。日頃は人権問題や防衛費には、あれこれ口を出すが、チャイナのことになると黙ってしまう。二重基準で、思考停止になっているようだ。

 東南アジア諸国は、大東亜戦争後も植民地主義と戦ってきた。東南アジア諸国から見れば、西洋植民地主義や、共産主義と戦ってきた日本が、大東亜戦争の敗戦で引き上げてしまったと写るのかもしれない。

 1602年から始まった、オランダのインドネシア支配は過酷であった。各地でコーヒーや砂糖の栽培を強制し、その収益はオランダの国家予算の三分の一を占めたと言われている。その頃のインドネシア人の平均寿命は、一説によれば35歳だったそうだ。

 オランダ支配に対して、インドネシア人は何度も独立闘争を起こした。しかし、そのたびに制圧された。そこに登場したのが日本軍だった。日本軍はインドネシア人の協力で、わずか10日間でオランダ軍を追い出した。日本の今村均大将は、独立運動の指導者スカルノに対し、将来の独立に向けた準備を支援する代わりに、戦争に協力するよう求めた。

 スカルノはこの取引に応じ、日本軍に物資や労務を提供する代わりに、日本軍はインドネシア人による軍隊(PETA)の創設・訓練、官僚の育成、法制度や教育体制の整備などを進めた。日本が降伏した二日後、スカルノは初代大統領に就任して独立を宣言したのである。

 しかし、オランダの副総督ファンモークは、スカルノの独立宣言を無視して、インドネシアの港町スラバヤにイギリス軍とともに、上陸した。ファンモークは「インドネシア人は、日本軍が去ったので、我々が上陸すれば、従順になる」と考えていた。しかし、かつてのインドネシアではなかった。

 イギリス軍は大きな犠牲を出し、194611月には軍隊を撤退させた。しかし、オランダは諦めなかった。1947年7月に戦車、飛行機、機関銃で武装した部隊、約10万人を投入して、大規模な攻撃に出た。オランダ軍は瞬く間にジャワの大部分と、スマトラ油田地帯と産業地帯を占領した。

 オランダとの独立戦争では、日本の軍人が戦後も現地に残って、インドネシア軍とともに戦った。3年半の独立戦争で、インドネシア側が払った犠牲は、死者だけで80万人、負傷者は1千万人を超えた。

 しかし、オランダは謝罪するどころか、損害賠償を要求した。インドネシア政府は独立確保のために、オランダの要求をすべて呑んだ。1963年になり、国際的に力をつけたインドネシア政府は、次のように語って、日本に感謝したのである。

 我々は、ようやく力がついて、オランダとの約束を、全部破り捨てた。つまり、植民地主義と戦うには、力がなければ勝てないのだ。オランダと戦う力、つまり軍事能力を、戦時中に日本が与えてくれたおかげで、我々は独立することができたのだ。

 これは、近代史の真実である。





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