山椒大夫の元になった天台寺伝承 令和2年7月20日)

 昭和49年に七戸に住む方から「天台寺由来記桂泉観音之御本地」の写本が浄法寺町の教育委員会に寄贈された。この写本には作者として近松門左衛門の名前があった。熱心な信徒が灯台一流の浄瑠璃作家、近松門左衛門に手紙を書き、寺にまつわる伝承を浄瑠璃にするように依頼したと考えら、この物語は信徒の間に広く流布していたらしく、天台寺が奥州随一の霊場として全国的に知られていたと想像される。

 この物語は浄法寺の安比川にある滝見橋が舞台である。この地方には山田の長者と呼ばれる富豪が住んでいた。甲斐の国司が天皇の怒りを買い、陸奥の浄法寺に流される。妻子はその後を追うが、人買いに騙され、二人の子供は病気と虐待で亡くなり、妻も自殺する。残った子供達も離ればなれになり、松若という子だけが父に再会できた。

 父は許されて都に帰るが、松若は山田の長者に身を寄せた。しかし長者の女房の恋恋慕を嫌い仏教修行にでた。途中で仏の化身が老僧に化けて松若に告げた。

 「紫雲に乗り西方浄土平へ行き死んで阿弥陀になっている母に会うがよい。そして投げた石が落ちたところに住み、衆生済度せよ。」と命じた。石を投げたところ浄法寺に落ちた。

 そのころ都でも天皇の夢の中で、観世音から衆生済度のお告げを受けた。そこで高僧行基を浄法寺に派遣、山田の長者と一緒に天台寺を造った。松若は観音の現身であり、その現身に心を寄せてしまった長者の女房は滝見橋に身を投げてしまった。

 この由来記は森鴎外の「山椒大夫」の安寿と厨子王の秘話の源流と言われている。森鴎外は大正9年には、帝室博物館総長として天台寺出土品を天台寺からの献納として受け取っている。明治末期から岡倉天心などと共に、国内の美術品などを調査しており、その過程で天台寺縁起を知り、大正4年に「山椒大夫」を書いたのかもしれない。




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