長慶天皇を弔う   令和2年7月7日)

杉の大木に覆われ、昼でも暗い境内も午後一時になると水を打ったように静かになります。一瞬にしてそれまでの参拝人によるざわめきも消え、法螺貝による合図とともに法華経の読経が厳かに流れます。

霊気が全山に流れ、白い三角形の紙を額にし、白装束に身を固めた四人の担いだ神輿が本堂に進み出ます。神輿は堂の周囲を三度回り、そして道内に消えます。この天台寺特有の祭りは、旧暦の四月十八日に行われます。

「この地で亡くなった長慶天皇に死を弔うためだ。」と地元では信じられてきました。長慶天皇は南朝三代の天皇で、源氏物語の源抄などを残した風流人でもありました。

長慶天皇は足利氏から暗殺されそうになったので、秘かに吉野を出発し、伊勢から海路太平洋沿岸を北上し気仙沼周辺に到達しました。足利氏の追及が厳しく、さらに北の南部氏に助けを求めます。

南部氏は天台寺の道尊を派遣し、長慶天皇を救います。一行は黒森に籠り、そこから天台寺に逃れました。天皇はここで病魔に襲われ亡くなります。地元の人は酷く哀しみ、ご遺体を白木の棺に納め、錦の布に包んで境内の一角である月山堂の近くに埋葬しました。そこには杉の木を植えて目印としました。

時代は北朝の天下となり、公式には追慕できないので、表向きは祭りに見せかけて弔ったと言われています。

天台寺の祭りは、ほかの地域の祭りとは違って荘厳な神輿渡御に特徴があります。まるでどなたか高貴な方の葬列のようです。

大正期に宮内省の調査が入った際、長慶天皇が亡くなったころのものと推定される古い錦の布が出てきたそうです。古い壺などと一緒に宮内省に引き渡しますが、その布が南北朝時代のものとすると、長慶天皇伝説もぐっと信ぴょう性が出てきます。




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