長慶天皇伝説 その3 令和2年7月5日)

 長慶天皇が亡くなったのは45歳だったといわれます。その御陵は長谷寺の「有末光塚」に作られます。位牌は火災により焼失し、延亨2年(1745)に再建されました。

長慶天皇に遺品は応永年間(1394年から1428年)に、どうした理由か不明ですが櫛引八幡宮に移されます。八戸南部家の家臣立花四郎が長慶天皇より拝領し、その子孫の時代に長谷寺恵光院の関係者が櫛引八幡宮に奉納したとも伝わります。

八戸南部家の勢力圏に「ナニャドヤラという不思議」な歌が伝わります。別名を「南部の猫歌」とも呼ばれます。一戸町出身の神学博士・川守田英二はヘブライ語説、言語学者の金田一京助は方言説、柳田国男は恋歌説が唱えます。

新郷村史では弔いの歌であるとしています。長慶天皇が長谷寺に潜幸した際、梵語で「ここしか住むところがない」という気持ちを詠んだものともいわれます。この弔いの歌が、「ニャンニャン」と聞こえたため南部の猫歌と呼ばれました。この猫歌が盆に謳われるようになり、馬淵川流域を代表する盆踊りの歌となったと言います。

長慶天皇の病状が悪化し、側近の6名が月山大権現の断食祈願を行いますが、天皇は崩御してしまいました。6名は天皇の崩御に殉じます。地元の人々は、長慶天皇と殉職した側近の霊を慰めるために「ナニャドヤラ」を歌うようになったということです。




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