蛇沼政恒 年表 (令和2年6月8日)

蛇沼政恒年表

・ 嘉永2年(1849429日 
  陸奥国三戸郡猿部村の蛇沼舘に蛇沼載氏(のりうじ)と母みゑの長男として誕生。幼名は健次。
  母は会輔社を作った小保内孫陸の長女で小保内定身の姉。

・ 安政2年(1855) 
  三戸町の一戸武治衛門から槍術を学ぶ。(6歳)

・ 安政3年(1856) 
  南部藩主の南部利剛公に、師範の子・一戸才太とともに槍術を披露し、金子を賜う。(7歳)

・ 安政4年(1857) 
  陸奥福岡の祖父小保内孫陸宅に寄宿し、長州藩の小倉健作や麻生藩の吉田房五郎に師事する。(8歳)

・ 文久2年(1862) 
  盛岡の新渡戸傳宅に身を寄せ、開墾について学ぶ。3月に会輔社同盟に参加する。(13歳)

・ 文久3年(1863) 
  秋に津軽藩主の襲撃を企てる。(14歳)

・ 慶応元年(1865) 
  先代藩主南部利恭公に従い910日に盛岡を発ち104日に江戸に到着。古川美濃守、小田代熊太郎につき政治を研究する。(16歳)

   慶応2年(1866) 
  盛岡の作人館修文所に入学し江幡五郎に国文学漢文を学ぶ。江幡五郎が政恒と命名し、以後は蛇沼政恒を名乗る。(17歳)

   明治元年(1868) 
  陸奥福岡帰り、郷学教授照井小作に漢学を学ぶ。(19歳)

   明治3年(1870) 
  盛岡に居住後に上京。大学博士芳野金陵の塾で漢学を学ぶ。(21歳)

   明治4年(1871) 
  7
3日慶應義塾に入学。入学する際の名は蛇沼健次。事情で慶應義塾を辞め帰郷。(22歳)

   明治5年(1872) 
  内務卿大久保利通の「将来、日本人は洋服を着用することになるだろう。日本においても牧羊を奨励すべきである。」との言葉を知る。(23歳)

   明治6年(1873) 
  夏に三戸の財産一切を処分し、一家を挙げて上京し東京代々木に居を構える。(24歳)

・ 明治8年(1875) 
  旧藩主を通じて10月に、勧業寮試験場研究生となり牧羊論を学ぶ。
  会輔社では勧業部門の具体的な事業として牧羊と取り組むことを決定する。(26歳)

・ 明治9年(1876年) 
  緬羊25頭を購入(借用?)し15頭を引き連れて523日に東京を出発。牧羊師に松平錦水を雇い、牧夫4名と共に陸路を陸奥福岡に向かう。
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15日に会輔社に到着し、小保内家の敷地で飼育を始める。7月に「上野牧場創立規約」をつくり賛同者を募る。
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6日に青森県令に資金拝借申請書を会輔社員の連名で提出。
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9日木戸孝允が会輔社を訪問。710日明治天皇の巡幸に際し、緬羊と羊の毛織りを展覧に供した。(27歳)

・ 明治11年(1877)
  上斗米の上野官有地に牧場を開設。(28歳)

・ 明治11年(1878) 
  下総御料牧場から羊30頭が貸与され陸送する。牧羊資金拝借申請が岩手県より3月に許可される。
  4月に会輔社による「上野牧羊場」が設立される。11月島県令一行が視察に訪れる。(29歳)

・ 明治12年(1879) 
  住宅を新築。秋に狼害に遭う。(30歳)

・ 明治14年(1881) 
  1月に狼害で羊が全滅する。会輔社は牧羊から手を引き蛇沼の個人経営となる。
  2月に夏井庄六、三ケ森長永を伴い、下総国種畜牧場で牧夫として牧羊を学ぶ。
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月に羊500頭、原野約3000町歩の借用願いを提出。牧場開設計画は上斗米上野、浄法寺村梅ノ木、小繋村西田子であった。
  8月23日明治天皇の東北巡幸に際して謁見する。(32歳)

・ 明治15年(1882) 
  牧夫として三ケ森長永、雇地保蔵を日給20銭で雇う。2月に再度牧羊を勉強するために三里塚農政局種畜場で働く。
  10月に上野の官有地使用と羊200頭の拝借許可が下る。(33歳)

・ 明治16年(1883) 
  春に子羊130頭誕生。下総取香種畜場から緬羊200頭を借用する。
  三ケ森長永、雇地保蔵と三人で42に日間かけて上斗米上野に到着。
  この際に牧羊犬2頭を連れて帰る。7月雇地の管理する緬羊200頭が農務局内命により臨時滞留となる。
  俗にいう梅ノ木事件が起こる。(34歳)

    明治17年(1884) 
  開拓希望者を募り42町歩を開墾する。開墾のトラブル発生し開墾した土地20町歩を手放す。
  連日の雨降りで緬羊の死が相次ぐ。(35歳)

    明治18年(1885) 
  8月に農務局長岩山敬義が視察に訪れる。
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月岩手県令磐井精一宛てに緬羊90頭の返上願を出す。(36歳)

    明治19年(1886) 
  春から天候に恵まれ緬羊も元気を取り戻す。
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10月に農務局岩山敬義が視察に訪れ、返上願は受理するが引き続き緬羊を続けることを許可する。(37歳)

   明治20年(1887) 
  住宅が全焼する。牧舎新築。(38歳)

    明治21年(1888) 
  二戸郡長新渡戸宗助「牧羊に関する開申書。
  工藤与八等10名と「互換協定諸」を結ぶ。(39歳)

   明治22年(1889) 
  リンゴの植樹。(40歳)

   明治23年(1890) 
  1月火災で全焼。4月開墾の借地願が許可される。
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月住宅新築、牧舎再建。(41歳)

・ 明治26年(1893) 
  前田正名農商次官が牧羊場を見学し一週間滞在する。(44歳)

・ 明治28年(1895) 
  第5回内国勧業博覧会に「上野牧羊場の来歴書」「牧羊論」「開拓方法書」を出展。
  有功三等賞を受賞。(46歳)

・ 明治29年(1896) 
  旧南部藩主より家系の証明書が発行される。
  旧藩時ニアリテ一般ノ藩士ト異ナル特別ノ取扱ヲ為シ来タル家筋ニ相違ナキ事ヲ証明候也」(47歳)

・ 明治30年(1897) 
  二戸地区に中等教育の学校を作ることになり、産業立国の立場から農学校誘致を主張する。
  実弟の小保内兼吾は人材育成の面から中学校誘致を主張する。(48歳)

・ 明治34年(1901) 
  県立福岡中学校が428日開校。小岩井農場で牧羊を始める。(52歳)

・ 明治37年(1904) 
  秋に福岡より八幡宮を遷座。924日福岡中学校遠足で蛇沼牧場を訪れる。(55歳)

・ 明治38年(1905) 
  日露戦争に従軍する南部利祥中尉(南部家42代当主)に羊肉の味噌漬けを送る。(56歳)

・ 明治42年(1909) 
  用材の植林を行う。(60歳)

・ 明治45年(1912) 
  アメリカスズカケノキを北海道より移植。(62歳)

・ 大正元年(1912) 
  借用値の330町歩が払い下げとなる。(62歳)

・ 大正3年(1914) 
  岩手県知事、開墾状況視察のため来場。(65歳)

・ 大正8年(1919) 
  耕地整理申請。(71歳)

・ 大正9年(1920) 耕地整理施行許可が下りて即時実行。(72歳)

・ 大正10年(1921) 水難により死去。(72歳)



↓ 明治43年ごろ、南部家当主が福岡訪問した際の集合写真





60歳ごろの蛇沼政恒、右横が若き日の国分兼吉




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