明治30年の一戸の消防ポンプ (令和2年2月16日)

二戸地方の中心地は福岡と一戸でした。一戸には商家や宿場もおおく、奥州街道の宿場町として発展しました。

 
明治時代、江戸の町火消は東京府に移管され、東京府は明治3年(1870年)に消防局を置き、町火消を改組し消防組としました。

  明治6年(1873年)に消防事務は内務省に移され、東京府下の消防は、翌明治7年(1873年)に新設された東京警視庁に移されたので、東京警視庁では、直ちに消防組に関する消防章程を制定しました。これが明治の消防の組織活動の基礎となりました。

 しかし、全国的には公設消防組は少なく、ほとんどが自治組織としての私設消防組であり、それも名だけというものが多かったのです。

 そこで、政府は社会の発展に即応する効率的な消防組織の育成を図るため、地方制度再編成を機会に、明治27年(1894年)に消防組規則(勅令第15号)を制定し、消防組を府県知事の管掌として全国的な統一を図りました。具体的な内容は、消防組は知事が職権をもって設置すべきもので、今までの既設の消防組を認めたり、また市町村が自ら組織したものを認可することではいけないという強硬な絶対的至上命令なもので、消防組は知事の警察権に掌握されながら、その費用は一切市町村で負担するべきものと規定されていました。

規則施行後にも、消防組の設立は遅々として進まなかったものの、警察署長等の積極的な働きかけなどにより、大正時代末には飛躍的にその数が増大していくこととなりました。

 一戸町でも明治30年に消防組に備え付けられた椀用ポンプの写真が残されています。当時の記録に、若者は先を競って消防組に志願したと残っています。消防組の颯爽とした姿は、若い娘に大人気だったそうです。




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