歴史ロマンを秘めた南部せんべい (令和2年1月29日)

旧南部藩領で煎餅といえば、多くの地元民は「ミミ」のある煎餅を思い浮かべると思います。地元民から見れば何でもないものですが、全国的に見れば珍しい製造方法のようです。

そして、この「ミミ」だけが商品として売られ、堅く焼いた煎餅を鍋物に入れて食す事もでき、長期保存にも適している素晴らしい食品です。

 南部煎餅の起源は三つの説が伝えられています。 

 長慶天皇創始説

 南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町)、長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家から蕎麦粉とゴマを手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出しました。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとされています。この故事は、テレビCMなどでも放映され、多くの人に知られています。天皇はこの食べ物をとても気に入り、煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したといいます。

八戸南部氏創始説
 応永18年(1411)の「秋田戦争」で、根城南部の兵士たちが戦場で蕎麦粉にゴマと塩を混ぜ鉄兜で焼いて食べたところ、将兵の士気大いに上がり、戦に勝利しました。その後多くの合戦に携行され、南部せんべいの始まりとなったとする説もあります。南部煎餅の分布が八戸南部氏の勢力圏と重なるので、何らかの関連がありそうです。

キリスト創始説
 南部煎餅に文様は、古い時代には「松ヶ枝」が三段から五段つけてあったそうです。そしてその文様は何とユダヤ章に酷似していました。旧約聖書の「民数紀略六章三節ー二十一節」に、「モーゼの律法の一つに、俗を離るるの日の満たる時、幕屋の門に携えて行く供物のなかに、酵(たね)いれぬパン一かご、麦粉に、油をまぜて作る菓子、油をぬりたる酵入れぬ煎餅をもちてゆくこと」という律法があるそうです。油をぬり酵いれぬ煎餅とは、実に現在の「南部煎餅」の事だという説です。

キリスト創始説は、一見すると荒唐無稽な説ですが、トルコ地方には煎餅焼器と同じような器具があったような文献を読んだ気がしますし、「酵いれぬパン」とは、まさしく南部煎餅のような気がします。

煎餅の模様の「松ヶ枝」は、キリストが八戸港の松ヶ崎に上陸した「松の森」を記念として、今日まで残したとも言われます。

ユダヤ教徒が祭で食べる、種無しパンのマッツァーが変じて南部煎餅になったとすれば、壮大な歴史ロマンです。

以前の、カゴメ紋の入った南部煎餅もあったとも伝わりますので、カゴメ印を入れて売り出せば地域の話題になりそうです。子供のころには煎餅にカゴメ紋があったのを何となく覚えています。




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