三斎市で地域活性化 (令和2年1月2日)

 江戸幕府の政策によって太平の世になり、日本国内は物流も多くなり、参勤交代などを通じて各地の産物が江戸や大阪を通じて、全国各地に広まった。江戸期は決して暗黒に時代ではなく、日本国内で最も各地の交流が促進された時代でした。二戸地方でも各地で市が開かれるようになり、人々の生活を豊かにしたのです。

 二戸郡誌には「元禄年間以降は奥州街道の発達に伴って福岡町・一戸町…金田一市等の宿駅が公認され、福岡・一戸・金田一等は宿場町として発展する一方、市場町として物資の交換市場でもあった」とあります。

このうち金田一については「明治20年ごろまでは金田一にも4日ごと(注.4のつく日ごとと思われる)に市日が開かれていた」「明治35・36年、福岡を中心として開かれる市というのは次のとおりであった。1日−一戸、2日−浄法寺と軽米、3日−やすみ、4日−金田一(葛巻)(新町)、5日−五日市、6日−(空白)、7日−伊保内、8日−三戸、9日−福岡、10日−田子、これらの外に終戦後、石切所が5日、上斗米が8日というように開設することがでてきた」とあります。

 市日は三斎市ともよばれ、ひと月に三回の市日が開設されることをいいます。このほかには節句市と呼ばれる季節ごとの市が立ったようです。

 「二戸郡金田一村では五月節句にはセックマチが立ち、煮たホドイモや西嶽の根曲りタケノコが売られ、この日のホドイモを食べるとからだにうじがわかないといわれている」セックイチも今は無い。セックイチは旧道の方に立ったと言われています。

 金田一には「祈り藤」という伝説がります。市日の混雑の中で娘を踏み殺された巫女が、藤を植え「この藤ある限り金田一には大きな市が立たぬように」と呪い、その数年後から市日には怪我人・死人が出たため、市日に来る人が漸次減って遂に市日がなくなったというものです。

 二戸地区の商店街は不振を叫ばれていますが、今でも市日の伝統が残されており、僅かですが出店者もあります。その出店者を目当て来客もあります。商店街活性化のヒントになるかもしれません。




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