神代文字研究者・小保内樺之介  (令和2年1月1日)

郷土の歴史を調べているうちに、福岡町長を務めた小保内樺之介氏が神代文字の研究者だと知りました。戦前は結構知られていたらしく、ピラミッド研究で知られる酒井勝軍との交流もありました。

 また、宗教家の川面凡児(かわつらぼんじ)の弟子でもありました。川面は禊の行法を体系化し、組織的に行なった宗教家です。現在の神社神道における禊作法は、戦前に川面が行っていたものに基づいていると言われています。

 神代文字研究家としての小保内樺之介は、まだ資料に乏しく、たまに資料は出てきても高額で手が出ない状況です。それを考えると、神代文字研究者の間では有名な方のようで、時々問い合わせがあります。小保内家は、藩政時代には南部領内の奥中山以北、下北半島までの神社戸籍を管理していた家柄ですので、調査が進めば面白い事実が出てくるかもしれません。

 その中で、インターネットで検索していて見つけた面白い文章を紹介して、今後の小保内樺之介研究の参考にしたいと思います。


続神代文字考  橋本敬三

 一昨年の秋「神代文字」を書いて生涯への道楽への熱願を発表した。その後どなたからも反響がなく、いささか淋しかったが、かねての念願が叶って、(昭和)三十六年四月末、岩手県福岡町に小保内樺之介先生を神代文字に関する、国内の研究者のグループの存在を知り、大いに意を強くした次第である。それ以来あちこちと連絡をとり、厖大な未知の世界への探りをつづけている。

 イスラエルと古代日本との関連について、この前も一寸ばかり においを嗅いだ程度のことを書いておいたが、小保内先生資料の うちで驚くべきことを知った。

 三笠宮様はヘブライ語学者であらせられる。その宮様が昭和二十八年一月のジャパン・タイムズ紙上で、三種の神器の八咫の鏡の裏面に、ヘブル文字でエイエ、アシェル、エイチと彫刻してあると、ご発言になったというのである。

 

 ジャパン・タイムズの人に調べてもらったら、二十八年一月の記事にはないという。

 最近式場兄が送ってくれた「富士戒壇建立1第七書」という謎のような本の八十一ページに「八咫鏡(やたのかがみ)の裏に刻された文字は、エホバの神がモーゼに言った言葉(我れは有りて在るもの也)」云々と書いてある。

 この言葉は、モーゼがシナイ山で燃ゆる柴の◯の中で、初めて神に出遇い、同族をエジプトの奴隷の境涯から救出すべき神命をうけたときに、あなたのお名前を同胞になんと告げたらよろしいか、と質問したときの神の反答の言葉である。

小谷部全一郎氏の「日本及び日本国民の起源」には、三種の神器の鏡は神瓶であって、マナを収蔵した純金張りの壷であるとのこと。鏡はその蓋なのであろうか。とにかく大変なことである。

−(マナとは、イスラエル全衆が四十年間アラビヤの荒野で耕作することなしに、毎朝小さなキノコのごとく、地から萌え出たパンのごとき食糧で養われた、そのもの)-

小保内先生は歴代福岡の呑香稲荷神社の神官、学者系の方である。一門から飛行機やローマ字で有名な、田中館愛橘博士が出ており、同郷から、東北学院出身、アメリカに渡り彼地にて神学博士となり牧師をしていた、川守田英二氏(現駐日アメリカ大使ライシャワー博士の知己)が出ている。

 同氏の「日本ヘブル詩歌の研究」という著書があることを知った。上下二冊1000ページあまりの本であるが、知らざるものにとっては驚くべきことが書いてある。

 惜しい哉、氏はこの著述の後まもなく、今から数年前に亡くなったのであるが、この著書によって、日本古代史研究の中心グループに「日本民族文化協会」というのがあって、昭和三十四年から月刊「祖代」を出している。これと連絡することによって、前年かいたように耄碌して忘れていた記憶もだいぶ甦り、いろいろ確実になってきた。次次と知らないこともわかってきた。

それはこの次に書くことにして、今回は川守田博士の研究で、ヘブライ語が昔のままの生(ナマ)で日本民謡のハヤシ言葉に伝え残されていることから、西暦紀元前六、七百年前のイスラエル(ユダヤ)と、日本人皇紀元前の関係を解明した話をご紹介することにする。

 川守田氏のこの著書は「ヘブル語に堪能なる三笠宮様に献げる」と頭書されてある。川守田氏が生まれた岩手県北部から青森県東部にかけて「ナギアド・ヤラ」なる意味のわからない民謡がある。氏は一九三三年来、これに心ひかれていたが、それがヘブライ語であることに気がついた。そして、その意味をしらべてみたところ、イスラエルの軍歌に相当することがわかった。
 東北の一隅にだけヘブライ語が残っているはずもあるまいとて、各地の民謡をしらべだしたところ、そのハヤシ言葉がほとんど昔ながらヘブル語そのままのが残っており、その数三四○余りをみつけた、そして、その意味するところから大和朝廷とイスラエルの正統ダビデ王のつながりを手繰り出してくることになったのである。また日本語の中に一、二○○余りのヘブル語原を発見して、これも発表している。

「ナギャド・ヤラ」は後廻しにして「伊勢音頭」から始めよう。

   伊勢は津でもつ。津は伊勢でもつ。ヨーイ ヨーイ

尾張名古屋は ヤンレ 城でもつ。

ササ ヤートコセ ヨーイナヤ

アリヤリヤ コレワイセ

コノナンデモセー

これをヘブル語で訳してみると、

○ヨーイ ヨーイ は ヤーエ ヤーエで

    おおエホバよエホバよとなる

○ヤンレはヤーエレでエホバは神なり

○ササはシャシャ汝ら喜ひ悦べ

○ヤートコセー ヤートコシエル エホバは仇敵を(海に)投げ 打給えり

○ヨーイヤナ ヤーエヨハナン=エホバは恵深くいますなれ

○アリヤリヤ アハレリヤ 我エホバを讃え奉らん

○コレワイセ コレワイシエ 彼呼び出し且つ救い給えり

○コノナンデモセー=コーノナギイド モシエ 彼は樹て給えり

指導者モーゼをということになる。これは前に書いた映画「十戒」のクライマックスの場面である。

 モーゼによって、神命としてエジプトの地から民族の故郷カナンに向けて、子女の他、徒歩の男子だけで六十萬の大群の脱出が始まった。ときに、エジプト王は、奴隷を手放すのが惜しくなり選抜きの戦車600輌。全エジプトの戦車および騎兵集団を駆って後を追いかけさせた。

 地中海岸沿いの北上を避けて、東路紅海海岸に出て、アラビア半島からヨルダン越えにカナンに向かわんとしたイスラエル。ようやく紅海岸に到着したときに、後からエジプト全軍が追撃してきた。前は海、後には敵、進退きわまった泣き叫ぶイスラエルに対して、エホバは追撃軍とイスラエルの間に雲の柱の煙幕を張り、モーゼに命じて、杖を挙げ、紅海に向けて手を伸べさせれば、にわかに強き東風吹き来り、終夜紅海の海水を左右に吹きわけた。

 それ、今のうちにとばかり、イスラエルは両側に垣根なす海水の干ける海底を、急ぎ渡ったのであるが、百余萬の人数である。とにかく翌暁までには最後尾も渡り、対岸に上陸を終ったようである。この結末は映画でご承知の通りであった(BC一二二〇年)

 息を殺して、追撃全軍が海の藻屑と消え去ったのをみつめていたイスラエルの全衆。

 だれやら「ハレルヤー」と神を讃める叫び声をあげれば、傍にいた男が「イヤサガ、イヤサガ、イヤサガ、サッサーイ」とつけ加えた。

=エホバは大いなり エホバは大いなり 大いなるエホバは悪魔を掃滅せり=

そうなると群衆は「ヤッショ ワッショ ワッショ ワッショ」と叫び狂った。

=救い給え しかして彼必ず救い給わん。するとモーゼは謡い出した。「我エホバを歌い讃めん。彼は高らかに高く在すなり、彼は馬とその乗手をば海に投げ打ち給えり、彼はわが神なり、我これを讃えん。彼は我が父の神なり。我これを崇めん」

 これをきいた群集は、「ヨヤセー ヨヤセー ヨヤセノヨヤセー」=彼は讃むべき哉 彼は讃むべき哉。「ヤーアレ ヤーアレ ヤーアレ」とはやし立てた。=ヤーレヤエレ=進み給え、エホバ我が神よ。

 そこへアロンの姉、預言者ミリアムの歌が飛び出したのである。

「ササ ヤートコセ ヨイヤナ アーリヤリヤコレワイセ コノナンテモセー」

 これが伊勢音頭のハヤシとして、今に伝わってきている。

 ミリアムはタンバリン(鈴鼓)をとって、打ち振りつつ、かく歌ったところ、彼女に従って女たちは、声を合わせて歌い、かつ踊った。

○「ナーギャアド ヤハーラ ヤゥ

○ナギアツアド ナサリ レーヌ サラリィ

○ナーギアツアド ヤーハラ ヤゥ」

○=民の指導者をしてエホバを讃美せしめよ

○=民の指導者は我らの為に我仇敵を撃退せり

○=民の指導者をしてエホバを讃美せしめん哉

 鼓をもってエホバを祟むる女たちの間に、太鼓をもった男たちが割り込んできて、二重三重の輪を描いて「ナーギアード ヤハーラ ヤゥ」を繰り返し、ドンスコドンスコドン・ドドカカドン」と太鼓を打ち鳴らして踊るのであった。 

 これが東北民謡盆踊歌「ナギアド・ヤラ」として、一戸から八戸地方にそのまま現在残っているヘブル詩歌である。

 さて、どうしてイスラエルのヘブル詩歌が日本で歌われ、今にいたるまで歌い継がれているのであろうか。話はまた聖書にもどらなければならない。

 前述、紅海の奇蹟的神助を得てから四十年のアラビヤの荒野における訓練を経て、イスラエル十二民族は今度はヨシヤにひきいられて、ふたたび紅海のときのごとく、流るる河水をせきとめられて、水の枯れたヨルダンの河底を渡り、乳と蜜の流れる地、カナンに攻め入り、カナン人、ヘテ人、ヒビ人(蝦夷)、ベリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人等を追放平定してイスラエル国家の建設にかかった。

 やがてダビデ大王がユダ族から挙げられてイスラエル統一王国を築いた。BC一〇〇〇年ごろである。その子ソロモンはソロモンの栄華とうたわれた時代を現出して、イスラエル全盛期をかざり、シオンの丘には大神殿が建立せられ、モーゼの十戒の石板は神輿に納められて至聖所に安置され、一オメルのマナを納めた金の壷や、アロンの杖等その他の神宝は宝蔵に格納されたのであった。しかるにソロモンの没後、BC九三一年、王国は南北朝に分裂し、北朝はBC七二二年アッシリヤに、南朝はBC536年バビロニヤに亡されるような状態に顛落してくるのである。

 南朝は正統ダビデ王統の直系が王位を継承していたのであるが、この危機において愛国の予言者イザヤがおった。

 アブラハム・イサク・ヤコブへの神の約束即ちその子孫の国の不滅と、ダビデへの約束その正系の永続とは、反古にされることはできない。しかし、現前イスラエル南北朝ともども、正に亡びなんとしているのである。

 イザヤは予言したのである。「邦土ことごとく荒地となりー人々遠方に移されー残れる者あれど呑みつくされん。されど聖き裔のこりて、この地の根となるべし。かのテレヒントまたは橿樹が切らるることありとも、その根の残るが如し」

「乙女妊みて子を生まん。その名をイムマヌエルと名つくべし」

(神我らと偕に在すの義)「エッサイの株より一つの芽出て、その根より一つの枝はえて実を結はん。その上にエホバの霊止まらん。これ智慧、聰明の霊、謀略才能の霊、智慧の霊、エホバをおそるるの霊なり」

「この故に汝ら東にてエホバを崇め、海の島島にてイスラエルの神エホバの御名を崇むべし」云々というのである。

 

 川守田博士の推定によると、エジプトから帰ってきたイスラエルに追われたカナン先住民は、もともと通商に長じていたので当方との交通があり、支那を知り、その東の海の中に処女地日本土のあることを知って、ぞくぞくとしてここに移住していた模様であるが、国家建設はしていなかったようである。

イザヤはこのことを知っていたにちがいない。 BC七一二年頃か、イザヤは齢六〇前後、愛国党の一団をひきいて東に向ったものとみられる。聖書には、その後のイザヤの消息ははったりと消えている。

 カナンの地エルサレムから東への道は、日の出を逐って砂漠を越え、イラクのバクダード、イランのテヘランを通りアフガニスタンに差しかかる。東北に迂回してサマルカンド、タシケントから天山北路または南路を通り、内外蒙古をぬけて満州に入り、朝鮮を経て日本に渡るもの。北印度からカシミヤをへて支那中原に入り、東南海岸に出て日本に向うもの。

 山陰、九州は上陸地点となる。 大和朝廷神武天皇は、イザヤと共に日本にその活路を求めてやってきたダビデ王の正系、イムマヌエル皇子より五代目に当る主権者であるという。

 神武天皇の幼名は若三毛入野尊(壮丁にして神に似たる御方)立太子名は狭野之尊(我らの皇子)即位にあたり磐余日子之尊(エホバの霊我に臨む)という意のヘブル語に当る。

格子造りに御神灯上げて、兄貴や家かと姐御に問えば、兄貴や二階で木遣りの稽古、音頭とるのはアリャうちの人

(1)エンヤラサノサ=われらは主権者狭野之尊を推戴し奉らん

(2)ヨーイサ ヨーイヤサ=主権者に栄光あらんことを、エホバよ主権者に栄光あらしめよ。

(3)エンヤラヤレコノセ=我らは伊波礼日子を主脳者に推戴せん

(4)サノセー ハレハモセー=主脳者を崇めよ、仰ぎ奉れ、メサヤをば

(5)エンヤラサ=我らをして主権者を推戴せしめよ。

 

 これは神武天皇御即位の歌としてヘブル語で歌われたものが、木遣音頭のハヤシとして残ったものである。 さて、神武天皇の時代は古代ヘブル語と、古代ヤマト言葉と並行して使用された時代と推定する。

 狭野之尊の太子名を伊波礼と改名されたことは、早馬使をもって全国に遣わし、天下に布告せねばならぬ重大事件であったと推察される。

 この至急伝達官は早馬を飛ばして部落に到着し、群衆を集めてその前に立ち

○抑々(ソモソモ)と大声に叫ぶ

 これはヘブル語のシャマーシャマー(汝らよく聴け)という意味である。

○使者は会衆の前で布告文を書いた巻物をおし戴いて啓く(拝啓である)。

○ノブレバーとまた叫ぶ。会衆は固唾をのんで傾聴する。=ノブは述ぶである。レバーは肝腎なる使命、意志、裁断、御意。ゆえにこれは「聖旨を代って伝達する」という意味である。

○ヤーレ コノ エン ヤーラー ヤーエ

○ヤーレ コラサノ エン ヤーラ ヤーエ

と宣言する。

通訳が立って、「今上天皇はエホバを信奉せられるので、狭野之尊の御名をば、今後、伊波礼日子と御改名遊ばされた」と取り次いで大衆にしらせる。

○=伊波礼と御改名遊ばされし所以は、彼エホバを礼賛すればな り。

○=伊波礼とサノの尊の名乗りしは、彼エホバの神を讃えればな り。というわけになる。

 伝達官は、

○シルセ と命ずる(記せである)

 =シイル、セイエ「汝ら歌を歌え」の意即ち歌にして記憶せよということである。

 伝達官に随伴してきた唱歌指導員は、

「ヤーレコノエンヤラヤエ ヤーレコラサノエーンヤラヤエ」(仙台地固め唄)と音頭をとって歌を民衆に教え込む。

 これが全国に残っている「建国木遣」や「地固め唄」の縁起である。

 全衆が歌を覚え込んだとみた使者は、

○アナ カシコ と結ぶ

=アナー カシイドコ(恩寵汝らにあらんことを祈る)

○サラバーと言い残して立去らんとする

=サラマー「平安汝らにあれ」と訳す。

 これに対して群集は

○サイナラーと呼ぶのであった。

=サイルニアラーは「汝の行く処、汝の仇人は追払われよ」である。

 川守田氏は、民謡ハヤシ言葉に漠大な数量のヘブル語を発見し、古事記、日本書記にもヘブル語が沢山あるであろうと思って、探してみたら案外寥寥たるもので、

 イザナギ、イザナミ二神の出会の言葉に、日本書記アナニエヤ(エホバは我れに応え給えり)、古事記アナニヤシ(救いの神われに応え給えり)が、あるが、日本書紀雄略天皇の条に「ナヒトヤハマニ」という熟語があって、その下の註に(この古語未だ詳らかならず)と記されてあるが、これも立派なヘブル語で「静粛は我が心をかき乱す」という意味で、美少女が庭を横切って歩く姿をみて発せられたホメ言葉で、「歩く姿は百合の花」くらいの意味でもあろうか。

 神武天皇の歌に、エエシヤコシヤ=「彼をして結ばせ給え、おお主よ、エホバの御座をば」があるが。その他少々で神武天皇より二、三代後にはヘブル語は神官の他には、一般には死語化したものとみるというのである。

 とにかBC七〇〇年頃イザヤ時代に語られたヘブル語が、日本に残っており、六六〇年の差のある日本紀元肇国の年代とあまりかけはなれてはいないのである。

 エホバの呼び名のヘブル語で、イザヤ時代よりも後のものは、日本に残っていない。即ち入ってきていないとみる。

 いろいろもっと詳しい考証はあるのであるが、川守田氏は大胆にも自分はこう断定するというのである。

○イザナギ、イザナミはイザヤ夫婦であろう。

○天照大神はイザヤの長女にしてウジャ王とヒゼキヤ王の王妃であって予言の皇子イヌマヌエルの生母

○月読之命はイザヤの長子シャルヤシュブ

○須佐之男之命はイザヤの第二子マヘル・シャラル・ハシ・バズ

○天ニギシ国ニギシ天ノオシラミミノ尊はイムマヌエル

○ヒコホノニニギノ尊はイムマヌエルの皇子ニニギはヘブル語でニン、ナギイド「主権者の子」または

ニナギイド「宣言せられたる者主権者として」

○人皇第一代神武天皇はイムマヌエルより五代目の主権者となるというのである。

 東北、北端の民謡ナギアド、ヤラは先住民族を北海道のエゾガ島まで追いまくって、

ここまでやってきたイスラエルの前衛部隊が土着して、道々唄ってきた進軍歌を残したものとみる。つまり先住民はおっても国家形態をなしていなかった日本に、イザヤの率いるイスラエル正統を擁した国粋党の一団が、カナン先住民のあとを追ってここに侵入し、ダビデ王統を移植しエホバ神道を基として日本の肇国をしたというのである。

 くわしいことは原著「日本ヘブル詩歌の研究」日本YMCA同盟出版部発行によって吟味せられんことを希望する。

 記、紀だけを日本の歴史として、古代神代文字で書いた歴史を荒唐無稽と否定する学者は、この川守田氏の説にも頭から反対するであろうが、学問的否定データを持ち合わせていない。

 まだある。一九五〇年、英国に亡命していた中国、前燕京大学教授、衛挺生博士は「神武天皇は徐福である」という論文を発表して、英国の東洋史学会に一大センセーションを巻き起こしたが、日本歴史学者はこれにもデータをもって太刀打ちできない。「徐福 秦の始皇帝の命を受け(BC二一九)日本に不老不死の霊薬を求めて数百人の童男童女を引きつれて渡来したが、富士山麓に住みつき、富士古文書を書き紀州に墓もある。

 その後も秦族はたびたび集団渡来帰化しているが、これがみなユダヤ人であるという。

 神代文字で書いた数々の古代文献を無視した今までの記紀一辺倒の日本歴史は、科学性に乏しいということになる。

 しかしまた文書でなくとも現在伝承しているヘブル詩歌のごとき、ヘブル語源の日本語のごときは、生きている大いなるメモランダムであることには間違いない。古代日本語は、その血液と同様に多数種族の結合であるから、あるものは西蔵語に、あるものは南洋語にも解読されるのは当然のことであろう。このことはいずれまた後で書く。

一九六二、一二、(医家芸術)(仙台市・開業ー内科・神経科)

http://www.sotai-miura.com/?p=196




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