八戸藩領志和の謎  (令和元年10月5日)

盛岡藩・八戸両藩は、独特の行政組織としての「通制」をとっていた。領内の郷村支配のため、代官統治地区を「通(とおり)」と称している。八戸藩を分知する以前は、慶安5年(1652年)は47の代官区とし、それに遠野南部氏の1区を加え48の代官区となった。

寛文5年、八戸藩に分轄した際、浜通・長苗代、久慈・軽米、志和の代官区は八戸藩に属した。なぜ志和の一部が八戸藩に属したか不思議である。その他の40区前後の代官区を33区に改編し、通ごとの地域区分は時代により若干の移動があった。

盛岡五代官所 
上田通、厨川通、見前通、向中野通、飯岡通

郡山四代官所 
徳田通、日詰通、伝法寺通、長岡通
花巻八代官所 八幡通、寺林通、万丁目通、笹間(後 二子)通、黒沢尻通、鬼柳通、立花(後 高木)通、安俵通

盛岡藩の行政区(1033通) - 安永9(1780)
岩手郡 上田通 31ヵ村 厨川通 7ヵ村 雫石通 10ヵ村 向中野通 11ヵ村 沼宮内通 38ヵ村

志和郡 飯岡通 9ヵ村 長岡通 12ヵ村 日詰通 9ヵ村 見前通 9ヵ村 徳田通 9ヵ村 伝法寺通 10ヵ村

稗貫郡 大迫通 7ヵ村 八幡通 21ヵ村 寺林通 20ヵ村 高木通 23ヵ村 万丁目通 14ヵ村

和賀郡 沢内通 7ヵ村 黒沢尻通 12ヵ村 鬼柳通 5ヵ村 安俵通 11ヵ村 二子通 13ヵ村

閉伊郡 大槌通 23ヵ村 宮古通 58ヵ村 遠野通 41ヵ村

九戸郡 野田通 22ヵ村

二戸郡 福岡通 72ヵ村 (当初は浄法寺通もあった)

三戸郡 三戸通 33ヵ村  五戸通 29ヵ村

鹿角郡 花輪通 24ヵ村 毛馬内通 45ヵ村

北郡  七戸通 24ヵ村 野辺地通 12ヵ村 田名部通 37ヵ村

領内10587村を33通に分割し、一通一代官所を原則としていたが、財政が困窮をつげるようになり、享保20年(1735年)、諸経費を節減する緊縮政策のため地方官吏の減員をおこない、代官所を25カ所に整理し、2525代官所に固定され、地方支配にあたっていた。

このほかに遠野通は、南部遠野氏は陸奥国代としての知行地であり、市中に町奉行・検断を設け、在方を上下両軍に分かち代官を任命して統治したため、代官の派遣はなかった。 

八戸藩の領内の行政区分は盛岡藩と同様に「通制」を用い、勘定頭が代官を指揮して民政に当たる。各区域には各2名ずつ代官が置かれていたが、領外(飛地)の志和については4名に増員された。

町奉行 八戸城下八戸廻 三戸郡 18ヵ村 九戸郡 1ヵ村

長苗代通 三戸郡 12ヵ村

名久井通 三戸郡 11ヵ村

軽米通 九戸郡 19ヵ村

久慈通 九戸郡 18ヵ村

志和  志和郡 4ヵ村

 志和通のなかで八戸藩領は、土館村、稲藤村、上平沢村、片寄村の四村であった。八戸藩領内でも有数の米生産地であり、盛岡藩有数の酒蔵が志和地方にあったことから、八戸領志和四村の米は、八戸藩の酒造にも大きく貢献した。なぜ、志和の一部が八戸藩領となったか不思議である。




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