南茅部 尾札部稲荷 (令和元年9月7日)

北海道南茅部の方から呑香稲荷について問い合わせがありました。

南茅部は市町村合併で、今は函館市の一部となっていますが、延宝7年(1679)に与五右衛門という人物が、陸奥国福岡の呑香稲荷より分霊して尾札部稲荷を分霊したそうです。

福岡の呑香稲荷ではそのあたりの経緯がわかるでしょうかという内容でしたが、二戸市史などを調べても詳細は分かりませんでした。

呑香稲荷社の連絡先をお知らせして、その問い合わせには答えることができませんでした。

さて呑香稲荷の歴史を調べると、延暦20年(801年)に出羽国(現在の山形県)の大物忌神社(おおものいみじんじゃ)を勧請し浄法寺村稲庭嶽に祀ったのが始まりと言われています。 

貞元親王(清和天皇の第三皇子)の孫にあたる源重之の母親が託宣により宮野の里に遷座し稲荷大神と称えていましたが、九戸政実と豊臣軍の戦いがあり、

戦乱を避けていったん津軽に遷座しました。九戸落城により、別城である松の丸を修理増築して二十六代南部信直公が移られ宮野は福岡と改められ、稲荷大神は二戸郡漆沢村に御遷幸となりました。 

二十七代利直公の時、秋田城之介の家臣であった小保内源左衛門が主家没落のため今の盛岡市仙北町で南部家に仕えていましたが、もともとの南部家臣たちから後ろ指をされるのに憤慨し北に向かいました。二戸郡漆沢村に至った際、その夜に霊夢がありました。 

稲荷大神より宮野の地に祭るよう信託をうけた源左衛門は、翌朝福岡城下に赴き、一祠を建立しました。そして、天和2年(1682年)、2月3日の夜に遷座となりました。天和3年(1683年)に呑香稲荷大明神の神号を受けています。 

南部藩の治世を通じて南部領内奥中山以北の神社は、呑香稲荷の管理下にあったと言います。そういった予備知識を持って、尾札部稲荷の縁起を調べれば面白そうです。



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