近世初頭期の浄法寺漆器   

近世の初頭期、17世紀の初めころの桃山文化期には漆器のことをジャパン、陶磁器のことをチャイナと呼んだ時期がありました。

現在の欧米ではそのような呼び方はしないようですが、漆の黒い艶と蒔絵の金のコントラストが美しいため、日本の工芸品の代表の一つとして海外の方に広くイメージされた物です。

黒の美しさは、日本人が最も美しく表現できるとも言われています。

これは、日本の漆芸の歴史が古いことを物語っています。

「漆器はアイヌ社会では大変好まれた」という話はよく聞きます。

 実際に、多くの漆器がアイヌ社会に残っており、特に古い浄法寺ものは今でも時々北海道で発見されています。

世界的なオークションサイトのebayでも、ロシア共和国から古い浄法寺モノと思われるものが出品されます。

ヨーロッパ社会で漆=ジャパンと呼称された背景は、桃山文化期に輸出された南蛮漆器、鎖国下の長崎交易を通じて行われた漆器の輸出があります。

さらには、近代以降に欧米に大量に流出した文化財、これらを通じて世界に漆器の存在、特にその美を印象づけたのです。

その漆芸に欠かせない基本が漆の樹液の回収の問題です。

現在は、日本国内の年間消費量の約8割以上が中国からの輸入に頼っています。

日本産漆は岩手県二戸市浄法寺周辺で作られているものを中心に2割弱です。

浄法寺漆を中心とした国産漆はどこで使用されているかというと、文化財修理のためにほとんどが使われているようです。

江戸時代の絵図には、鎌で漆掻きしている風景が描かれています。

しかし、今日使われている漆掻き用具は越前衆の道具であり、浄法寺でも現在の技法は越前衆が伝えたと言われています。

つまり江戸時代の道具と越前衆の道具は大きく異なります。

浄法寺でも、江戸期以前はどのような道具で、どのように漆樹液の回収を行っていたのかは、よくわかっていないというのも現実です。

昭和40年頃、農家の納屋で蕎麦包丁のような道具を見た記憶がありますが、もしかしたら漆に関係した道具だったかもしれません。

日本産漆のほとんどを生産している岩手県二戸市浄法寺周辺の漆掻き職人さんたちは20名ほどの、高齢化が進んでいると言われています。

この説は、半分は事実なのですが、漆掻きができる人は100名はくだらないと思います。

それというのも、昭和40年代前半までに生まれた掻き職人が、実は別の仕事の就いているのです。

安定的に漆掻きで収入が得られれば、職人の問題は解決できると思います。

漆掻き用具造りの鍛冶屋は、工房一軒のみでと言われていますが、すでに初心者でも使える道具が開発されています。

ぜひ、世界に誇る日本の漆文化を伝えるために、需要の掘り起こしや漆木の植樹、職人の待遇改善が急務です。



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