工芸志料  

平凡社から出版されている工芸志料は、太古から明治初年にいたる日本工芸の歩みを,膨大な古文献を渉猟駆使して叙述する名著。

類書のない貴重な史料集として,またユニークな通史として,本書は今なお不朽の名声を保っている。

その中で浄法寺椀(南部塗(はどのように書かれているのか?

・・・工芸志料360ページ・・・

南部塗

 南部塗は陸奥国の南部の地に於いて製する所の者なり、世人これを称して南部塗という。赤塗の者多し(六七百年前に造る所の南部塗の漆器今尚お存す。或いは云う。高倉天皇の御宇陸奥守藤原秀衡、工人に命じて創めて製せしむる所の者なり。故に後世此の器を称して秀衡椀と云うと)。

 南部椀と称するものは、内は朱色にして外は黒色なり。又黒漆の上に朱漆(又青漆、黄漆をも用いたり)を以て或いは鶴或いは花卉を描き、処々にに方切したる金箔を付着し、其の朱色煒燁なり。点茶家以て飯器と為す。最も雅致あり。

 染戸其の花章を模倣して布帛を染むれば、之を称して南部模様というに至る。その愛玩せしこと以て知る可し。

 又正法寺椀と云うあり。江刺郡の正法寺に於いて製せし所の者なり。或いは云く、正平年間僧無底という者あり。陸奥国江刺郡黒石寺において一寺を創建す、号して正法寺と云う。又黒石精舎という。正法寺は禅宗にして越前国永平寺、能登国総持寺と共に一派の総本寺たり、故に諸国の僧徒来聚するもの夥多なるを以て、正法寺に於いて使用する所の食器の椀も亦其の数多くしてしかるべからず。故にこれを造ること甚だ多かりなるべし。其の造る所の椀に類似せる者四方に伝播くせしより、世人これを正法寺椀と称するに至りしならんと。
 又云く、南部椀は陸奥の九戸郡(二戸郡の間違い)浄法寺村より出づ、同郡畑村にて椀を作り田山村にて漆を塗る。此の地皆南部氏管たりしを以て故に南部椀と称せり。而れども南部にては浄法寺椀といい、他の地にては南部椀という。

 後世に至りては江刺郡の正法寺に於いて漆器を製出せず、而して浄法寺村に於いて漆器を製す。亦南部椀という。其の他の工人巧みを伝えて今に至る。

 秀衡椀と称される物で平安鎌倉期に属する物は現存しない。後世のこの名称からいわゆる秀衡椀系の物の時代を古く考えるようになったのではなかろうか。秀衡椀、正法寺椀、浄法寺椀はそれぞれ系統を異にする所があるようであるが、それぞれの歴史はあまり明瞭でない。

 


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