天台寺浄法寺

【浄法寺(じょうほうじ)】

 奈良時代初期の神亀年間(724-29)の創建で、古くは緑野寺とも呼ばれていました。創建は、鑑真和上第一の高弟である道忠とされています。道忠の様な高僧が上毛野に赴任した事は仏教史の疑問となっていますが、その弟子が武蔵野・下毛野出身者であることから、関東教化の朝命が考えられます。

 また平安時代には、伝教大師最澄が東国教化の道場として再興したとも伝えられ、朝廷の施策寺色をうかがえます。以降、関東の中心寺として栄えましたが、戦国時代に入って衰退しました。近年発掘された、付近の黒熊中西遺跡の寺院群遺構との関連が注目されています。

 境内には、他に総門・鐘楼・本堂・大師殿・大師像などがあります。北側境外の唐銅製相輪塔は、弘仁6年( 815)に最澄が発願して建立された物の再建で、全国6塔のひとつに数えられています。全国六ヵ所とは、下野国・上野国・比叡山・山城国・筑紫国・豊前国で、最澄が一千部の法華経を納めて、仏法の護持や国家の鎮護を祈願したものと言います。

以上が群馬県藤岡市にある浄法寺の紹介文です。この紹介文が、一部を変えれば陸奥浄法寺にある天台寺の紹介に使えそうなことに気づきました。

【天台寺(てんだいじ】

奈良時代初期の神亀年間(724-29)の行基大僧正が創建したと伝えられ、平安期には、この地方に勢力を拡大した安部氏の仏教教化によって発展しました。

弘仁6年( 815)に最澄が発願して建立された物の再建で、全国六塔が作られました。作られた全国六ヵ所とは、下野国・上野国・比叡山・山城国・筑紫国・豊前国で、最澄が一千部の法華経を納めて、仏法の護持や国家の鎮護を祈願したものと言います。

そうした中で陸奥国にも拠点を持とうとした天台仏教は、安倍一族と結びつき日本国と蝦夷国の境界にある安比川流域にその拠点を作り、鎌倉の畠山一族が上野国、下野国に続き拠点として陸奥国に「浄法寺」を建立したと考えられる。

個人的な空想ですが、この辺りが歴史的真実に近いと考えています。


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