天台寺縁起

天台寺。宗派をそのまま名乗る寺も珍しい。この寺は岩手県二戸市浄法寺町にあって謎を多く秘めた場所でもある。
 寺伝によれば、奈良時代の高僧・行基によって開山されたとされている。その真相はともかくとして、古くから人々の信仰を集めた場所であることは間違いない。

 この天台寺が、歴史に登場するのは南北朝時代である。正平8年(1363年)に作られた鰐口に「天台寺」という確かな証拠を持って登場するのである。
 続いて元中9年(1392年)には梵鐘が作られた。おそらくはこの地に進出してきたであろう三戸南部氏による天台寺再興である。

 室町期になるとその姿は確かなものとなってくる。北東北に大きな影響を持った南部氏は、古代から人々の信仰を集めた天台寺を保護し多くの寺領を与えるのである。津軽の霊峰岩木山も一時期は天台寺が支配している。
 江戸期には盛岡藩から手厚い保護を受け、当時の名だたる紀行作家なども天台寺を訪れ記録に残している。

 明治期になると廃仏毀釈のために貴重な資料が失われ、寺の財政的な援助をしていた南部氏の保護もなくなり衰退しかけたが、地区住民の天台寺に対する信仰によりどうにか乗り切った。明治期の檀家は30軒ほどであり、盛岡藩の手厚い保護で江戸期を過ごしたために起こった悲劇であった。

 明治末から大正期になり、地元有志により歴史的な価値を見いだそうと発掘調査が行われ、新渡戸稲造、森鴎外、岡倉天心なども天台寺を訪れた。その所蔵品の一部はは国宝に指定され、発掘品の一部は東京国立美術館に展示され、戦後の霊木伐採の受難を逃れることとなった。

 戦後は天台寺最大の受難が待っていた。昭和28年(1953年)に起こった霊木伐採事件である。寺領にあった1000本を超す霊木が伐採され、貴重な文書・仏具類などが伐採作業員により焼かれたり持ち去られたことである。

 この混乱は昭和40年代まで続いたが、昭和50年(1975年)に天台寺保存会が結成され地元に復興の気運がもりあがり、作家の今東光氏が天台寺住職に就任し復興への確たる足場を築いた。

 昭和62年(1987年)には今大僧正の弟子で作家の瀬戸内寂聴氏が住職に就任、そのユーモアあふれた法話を聞きに全国からの参拝者でにぎわっている。

 そんな天台寺ですが、鎌倉期にはおそらく「浄法寺」と名乗っていたと考えている。天台寺院の陸奥国布教の拠点であったことから、上野国、下野国に続くものであったと思われる。




戻  る  

国産漆 浄法寺漆チューブ 生漆20グラム  手仕事の日本
酒処 東北六県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島) おすすめ地酒 飲みきりサイズのみくらべセット [ 日本酒 青森県 300ml×6本 ]

inserted by FC2 system