鎮護の寺は建てられつ

「北方の人間」守る拠点?

山に囲まれた浄法寺町は、21世紀となった今でも外部との交流は、ほとんど鹿角街道に頼っています。かつてほどではありませんが、冬は1メートル近くの雪に閉ざされ、農家の働き手の多くは農閑期には出稼ぎに行く土地柄です。

  この町には謎の古刹天台寺があります。近年では今東光大僧正や瀬戸内寂聴に縁の寺院として知られます。一見すると何事もない寺院ですが、平安期の遺産が残り、その成り立ちは古代東北地方の歴史をしる手掛かりになるとする研究者もおります。

天台寺はこの土地の小高い丘(標高320メートル)を拠点に、早くから青森、秋田方面へと仏教の影響力を伸ばしたといわれます。

森嘉兵衛岩手大学名誉教授は「生きた人間にとって平地の方が食料を確保する点でも環境は良好なはずなのに、“山岳寺院”を築く必要はどこにあったのだろう」と疑問を投げかけています。天台寺の古い歴史を知る手がかりがない現在、研究者の考え方もまちまちのようです。

  高橋富雄東北大教授は「古代東北の地に、北に向かって伝播していった中央文化が、しっかりと根をおろしたことを物語る遺跡だ」と“歴史のシンボル論”主張しています。それによると「鎮護国家を旗印にした我が国の天台宗は9世紀半ば、その理想を実現しようと、六か国に法華経を置く塔(六所宝塔)を建てたそうです。関東以北では栃木と群馬がその地だと言います。

この高橋富雄教授の説を読んだときに衝撃は走りました。栃木と群馬といえば「浄法寺」という地名や寺院が残る土地です。明らかに畠山重忠につながる人物の足跡、天台寺院の存在が、陸奥浄法寺氏を知る手掛かりになりそうです。もしかしたら浄法寺氏は天台仏教に関係にある人物で、天台寺の庇護者だった可能性もあります。

天台寺は鎮護国家の理想を北東北にも実現させようとしたものだったのかもしれません。
 古代中央の軍事的北限は、七時雨から西岳を結ぶ地点より南までで、それ以北は蝦夷の住む‘異邦の地’でした。朝廷勢力圏との国境である地に建てられた天台寺は、いつしか天台仏教に帰依していた畠山氏一族が上野国、下野国を経由し、最終的には陸奥浄法寺にやってきたとは考えられないでしょうか。



(今東光大僧正晋山式)


戻  る  

国産漆 浄法寺漆チューブ 生漆20グラム  手仕事の日本
酒処 東北六県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島) おすすめ地酒 飲みきりサイズのみくらべセット [ 日本酒 青森県 300ml×6本 ]

inserted by FC2 system