陣場台熱球録 web版 その100

昭和55年絶体絶命からの勝利

昭和54年の秋、昭和55年の春と岩手県大会を制し、東北大会でもベスト4、準優勝と続き19年ぶりの甲子園は確実とみられていた。

夏の三回戦の相手は、前年秋の岩手県大会決勝戦を戦った一関工業であった。この時の一関工業は茂庭投手を擁する強豪チームであった。福岡の欠端、一関工業の茂庭の投手戦となり、終盤に得点が動いた。

8回表に一関工業が2点を先取し、試合はそのまま最終回を迎えた。9回裏の福岡高の攻撃も一死ランナー無しで誰もが敗戦を予感した。昭和51年、52年、54年と決勝で敗れ、今年こそはと思っていたが絶体絶命のピンチであった。

しかし、ここから驚異の粘りを発揮した。平野捕手の内野安打を皮切りに、平泉選手のレフトオーバーの二塁打、代打の下村は敬遠気味の四球を選び満塁となり、蒲田左翼手のタイムリーヒットで1点を返した。一死満塁のまま真下主将に打席が回ってきたがキャッチャーフライで二死。田岡選手に代わって代打に神孝雄捕手が送られた。代打の神選手はツーストライクと追い込まれながらも四球を選び同点。続く舘浩孝選手は、気落ちした茂庭投手の初球をセンター前に運び、奇跡的な逆転勝ちを納めた。

忘れられない一戦であった。




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