陣場台熱球録 web版 その81

10回目の甲子園に導いた左腕 斎藤幸二 

 昭和60年(1985)夏の大会、母校を10回目の甲子園に導いたのはエース斎藤幸二の好投に負うところが大きかった。

好投手柳畑雅人投手と同じ一戸町の小鳥谷中学出身、二年生の時からレギュラーとして活躍した。二年生の夏の大会準決勝、大船渡高校に一矢を報いた一点は斎藤幸二のランニングホームランである。

柳畑投手の後を引き継いでマウンドを守った。新人戦では当時のライバル盛岡工業に1−2で惜敗、明けた昭和60年春の大会でも地元開催のプレッシャの中で専大北上に1−3で敗れた。

大きく乱れることのない投球ではあったが、柳畑投手のような豪快な投球ではなく地元のファンも、夏の大会は頑張って欲しい程度に思っていた。

ところが春から夏にかけての成長著しく、地元のオールドファンからは「戸来投手の再来」と言われるようになった。昭和55年の欠端光則投手や前年の柳畑雅人投手のように力で押さえるのではなく、伸びのあるストレートと打者の打ち気をそらす投球術、何よりも左腕からくり出される大きなカーブが魅力だった。

エースに引っ張られるように、チーム全体も成長した。守備も安定し打撃も鋭い振りを見せるようになった。

斎藤・奥堂のバッテリーで迎えた夏の大会、二回戦の水沢工業戦こそ終盤までもつれ苦戦したが、守備陣の驚異的なファインプレイに助けられて退けると、その後は危なげなく勝ち上がり決勝戦に進出した。

決勝戦の相手は昭和55年と同じ水沢高校。しかも水沢の監督は母校を9回目の甲子園に導いた斉藤諒監督である。福岡の監督は水沢高校OBの佐藤利行監督という井年の中で試合は始まった。

エースの斎藤幸二は、奥堂捕手の工リードにも助けられ粘りの水沢高校を一点に抑えた。味方打線は小刻みに得点を重ね、3−1で勝利し5年ぶり10回目の甲子園出場を果たした。

甲子園大会でも好投したが守備陣の乱れから4−6で初戦敗退であった。守備陣が乱れた4回裏以外はほぼ完璧なピッチングだっただけに悔やまれる。

この大会では、実弟の斎藤隆も一年生ながらセカンドとして出場し話題を呼んだ。

卒業後は社会人野球の岩手銀行に進み活躍した。現在は脱サラし、地元二戸市で飲食店を経営するかたわら、後輩達の甲子園出場を願っている。 

 


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