陣場台熱球録 web版 その65

福中の応援歌は野球部のために作られた

 開校からしばらくは、明治44年に制定された記念式歌(現在の校歌)や即席でつくられた応援歌は数曲存在していたが、体系的に生徒間で歌われるのではなかった。しかし、大正期にはいると旧制高校の寮歌や慶応、早稲田大学の応援歌などからメロディーを拝借した応援歌が続々とつくられるようになる。その当時につくられた応援歌を紹介してみよう。

応援歌 天は晴れたり気は澄みぬ

 制定は不明だが古くから歌われている。元歌は文部省唱歌「ワシントン」。明治35年の作品で作曲者は北村季晴。明治40年頃にこの歌をもとにして慶応大学応援歌「天は晴れたり気は澄みぬ」が作られた。大正7年頃までには福中生に広まった。歌詞も慶応のものを少し変えただけだった。 松本深志高校(長野県)、太田高校(群馬県)、松山高校(埼玉県)、沼津東高校(静岡県)などにも伝わっている。昭和55年夏の甲子園大会で歌ったところ、各地の学校から問い合わせがあった。

天は晴れたり気は澄みぬ

自由の旗風吹きなびき
福陵健児の血はほとばしり
ここに立ちたる野球団


勝利を告ぐる時の声
天下の粋ぞと仰がれて
陣場山上秋月高く
輝く選手のその功


応援歌 「あの輩は何者ぞ」

 大正7年頃、早稲田大学二軍と野球の試合をした際に伝わったと言われる。もと歌は盛岡出身の山田美沙斎が作った「敵は幾万」である。盛岡一高に同じ応援歌がある。


あの輩は何者ぞ
我には赤き心あり
赤き心の熱血は
血潮にそめし応援旗
血潮にそめしその旗を
仰がぬ者はあるべきか
などて刃向かう
敵やある

陸奥の覇者たる福中の
威力を示すは今ぞ今
威力を示すは今ぞ今
敵手を屠りてかえりてぞ
などて刃向かう
敵やある



応援歌 「男神女神の精をとり」

 大正7年に奥健三氏(野球部)の作詞と伝わる。元歌は第一高等学校東寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」。当時の大ヒット曲である。対外試合が多くなり、福中グランドにも地元民が押し寄せて熱唱したといわれる。

男神女神の精をとり
その名も香る福陵よ

我ら健児の血は燃えて
輝く選手のいさおしに
折爪山頭ひたゆるぎ
馬淵の川の水は湧く

緑したたるクローバの
庭に鍛えし健児らが
九戸古城の秋月や
三葉なる松の誇りをば
示すは今ぞこの時ぞ
いざ立て奮え我が選手

野球部歌 「陣場の山の浅緑」

 大正7年頃の奥健三氏を中心とする野球部員によって作詞された。本歌は第一高等学校寮歌。大正期から昭和初期には「野球部歌」的な扱いを受けていたようだ。敬遠満塁策で知られる村田栄三氏も、100周年記念式典ではlpんp野球部歌をりくえすとしたものだった。

陣場の山の浅緑
深紅の旗は天に舞い
燃ゆるが如き男子らの
若き血潮は朱のごと

宣戦の鐘遠なれば
跳躍叫び天に舞い
潮のごとく高鳴れば
我らが胸に湧き返る



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