陣場台熱球録 web版 その55


三年生エース田頭敬作の活躍

 昭和14年(1939)は、第25回の記念大会でもあり岩手県からは4校が奥羽大会に出場できることとなった。白坂、小田野、戸来などの選手を中心にまとまり、今年こそは甲子園大会に出場することを選手も関係者も疑わなかった。

 岩手県予選は7月23日に抽選を行い、前年までの二回戦終了後に再抽選の方式を廃止した。翌24日から盛岡市営球場で試合が始まった。一回戦は一関中学を5−0で破った。この勝利で奥羽大会出場が決まった。二回戦の釜石商業も12−1と圧倒した。決勝戦は盛岡中学との対戦となり11−2で降し、昭和6年以来の県内制覇を成し遂げた。 奥羽大会には岩手県から、福岡中、盛岡中、花巻中、釜石商が出場した。この大会の準決勝からはラジオ放送が始まり、町の電気店には試合経過を聞くために多くの人が集まった。

奥羽大会は岩手県での開催であり、主会場は盛岡市営球場であった。福中は2回戦から登場し1−0で秋田商業を退けたが、続く準決勝では1−3で青森中学に惜敗した。

 昭和15年は白坂、戸来、小田野の主力が抜け、5年生が三名しか在籍せず平均年齢も15歳未満のチームであった。地元でもそれほど期待されていなかったが、主戦の田頭敬作投の成長が著しく、守備陣も安定し、果敢な走塁で奥羽大会を制して五回目の甲子園出場を果たしたのであった。

 全国大会でも、果敢な走塁と卓越した野球理論からダークホースと言われ、全国で一番若いチームと紹介された。





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