講談のの相馬大作

講談の中の相馬大作

江戸時代の講談に取りあげられた「相馬大作事件」の種本や刊行物の類は、実は見つかっていないそうです。1884年(明治17年)の改新新聞に連載された『檜垣山名誉碑文』が1885年(明治18年)に刊行されたのが最初と言われます。

1888年(明治21年)には講談『檜山麒麟の一声』が講釈師・柴田南玉によって演じられ、相馬大作の勇武を持ち上げ人気を博したようです。

相馬大作事件が大衆に知られて人気が出たのは、柴田の高座からであると言われています。また、『檜山実記・相馬大作』などの演題も、田辺南龍・邑井一・邑井貞吉などの講釈師によって演じられ、庶民の人気を博しました。西洋化というとても急激な時代の変化が、江戸時代を懐かしむとして作用したのかもしれません。

しかし、この弘前藩を一方的に悪者に仕立てたこれらの講談に対し不満を抱いた旧弘前藩士らは抗議し、訴訟にまでなったそうです。警視庁は公演や芝居は差し止め、刊行本は発売禁止となったようですが、押さえきれず、表向きの看板をはずした中で興行はつづいたといわれます。

1923年(大正12年)、東京八丁堀では講釈師・神田魯山の興行、1927年(昭和2年)東京神田での宝井琴慶、浅草での西尾麟慶の興行などが有名です。

津軽と南部の確執が庶民階級まで知られたのはこのころからともいわれます。藩政時代は、藩士同士の確執はあったのは確かですが、庶民レベルの確執はほとんどなかったようです。




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