相馬大作信仰

下斗米将真の事件は水戸藩の藤田東湖らに強い影響を与えました。当時1516歳で江戸にいた東湖は相馬大作事件の刺激から、後に『下斗米将真伝』を著します。この本の影響を受けて儒学者の芳野金陵は『相馬大作伝』を著し、さらに長州藩の吉田松陰は北方視察の際に暗殺未遂現場を訪れ、暗殺が成功したか地元住民に訊ね、また長歌を詠じて秀之進を称えた。 

吉川弘文館『国史大辞典』の相馬大作に関する評伝は、「武術を学ぶ一方で世界情勢にも精通した人物。単なる忠義立てではなく、真意は国防が急であることから、両家の和親について自覚を促すことにあったらしい」というものです。

別の見方として平戸藩主・松浦静山は「児戯に類すとも云うべし」とこの一件を酷評していますが、当時の江戸の庶民の間では相馬大作の人気は絶大だったようです。 

そうした中で相馬大作信仰が生まれました。盛岡藩の御用人であった黒川主馬等が提唱した忠義の士・相馬大作の顕彰事業により、南部家菩提所である金地院境内の黒川家墓域内に供養碑が建立されたのです。この供養碑には頭脳明晰となる力があるとの俗信が宣伝され、かつては御利益に与ろうと石塔を砕いてお守りにする者が後をたたなかったと言います。黒川家によれば、同家による補修・建て替えは数度におよび、現在の石塔は何代目かのものだそうです。 

妙縁寺には秀之進の首塚があります。住職の日脱が秀之進の伯父であったため首を貰い受けたといわれ、秀之進の供養のために1852年(嘉永5年)10月、南部領盛岡に感恩寺が建立され、秀之進の息子(後の英穏院日淳贈上人)が初代住職となりました。妙縁寺と感恩寺はいずれも日蓮正宗の寺院です。

斬首で使用された刀「延寿國時」は南北朝時代の名刀であり、弘前市指定文化財として保存されていいます。 

また、東京都台東区の谷中霊園には招魂碑があります。この招魂碑は歌舞伎役者の初代市川右團次が、相馬大作を演じて評判を取ったので1882年(明治15年)2月、右団次によって建立されたものです。




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