義憤の大作時の傑

 母校の校歌の第三節が何とも言えずに好きである。

曲は旧制第一高等学校の「春爛漫の花の色」から拝借したメロディーである。明治44428に行われた学校創立10周年記念でのお祝いの歌であった。

同じメロディーを兄弟校である一関中学でも採用している。本来は同じメロディー那はずなのだが、現在謳われている曲は微妙に違っている。

母校の場合、長年歌い継がれているうちに独自の歌い方になったものだとばかり思っていたが、実は元歌にはA曲とB曲が存在していたことが判明した。一関はA曲を採用し、母校ではB曲を採用したものであった。

1 岩手の北台天下の鎮

降るや嶽神雲薫り

湧くや霊泉龍踊る

自然の精霊鐘りて

天地の威徳象れる

我が中学や国の誇示

2 三綱の柱太しりて

五目の甍聳ゆなり

ああ荘厳の我が校や

偉人の事業実の学

学ぶ鳳雛のはばたくや

習ふ龍駒の駆るかな

3 義憤の大作時の傑

九戸古城主君見ずや

無量の感慨胸を衝く

いざや稜威を戴きて

天の使命ぞ果たさなん

国士の気魄我が理想

戦後の学制改革でも校歌はそのまま引き継がれた。そのことは当然だと思っていたが、多くの学校では新校歌が作られたようだ。そのため母校では旧制時代の卒業生と新制の卒業生、そして現役生で同じ校歌を歌える。とても幸せなことである。

第三節に登場する「義憤の大作」とは相馬大作の事である。

作詩者は、国漢担当の疋田剛三先生と在校生有志である。最初、青木校長は祈念式歌の制作を各先生方に命じたがなかなか気に入った歌ができなかった。式典の日は迫り、在校生の有志が疋田先生の自宅に馳せ参じ、学校創立の基本理念や自分達の理想を書いてくださるように要望した。

先生は酒豪であった。この時もかなり酔っぱらっていたが、生徒の要望を受けて一気呵成に第一節と第二節を書き上げた。そして、生徒達に残りの一節を考えておけと言って一睡された。やがて目を覚ました先生は、生徒の作った文句に感心しほとんど手直しもせずに完成させた。こうして一夜でできた詩が青木校長の意にかない、第一高等学校寮歌のメロディーで歌われることとなった。歌詞がどことなくぎこちないにもかかわらず、どこか清新で学校建学の精神が歌い尽くされている。

さて相馬大作とは何者であろうか。

旧南部藩士やそれに関わる人たちは相馬大作が大好きであった。無念の内に亡くなった藩主の恨みを晴らすために、江戸から帰る途中の津軽藩主を奇襲し、また世に知れた剣豪であり、六尺の長い刀を目にもとまらぬ速さで抜いてそれを鞘に納めた事などが伝わっている。

彼の本名は下斗米秀之進将真である。号は形水と称した。文政元年(1789)二月に南部領内福岡に生まれた。江戸に出て平山道場に入門し四天王として認められるまでになった。郷里に帰り、北方警備の重要性から近隣の若者を集めて「兵聖閣」を開き、実用流を伝授した。

津軽候襲撃の首謀者として幕府に捕らえられ、文政五年(1821)四月二十九日に同志の関良助と共に処刑された。下斗米将真三十四歳、関良助二十三歳であった。




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