田中舘愛橘物語  その8

博士の業績 その1

 黎明期だった日本の物理、科学界を、短期間に西洋のレベルまで発展させ、日本を世界に認めさせる一翼を担ったのが田中舘愛橘博士です。明治から大正時代にかけては、日本国内で知らぬ人はいないといわれた名物博士でした。

 「日本には物理学が無かった」と言ったら、みなさんは信じられないかもしれないが、明治初期は本当に無かったのです。ついでに言えば、学問としての音楽や絵画なども無かったのです。

明治時代、文明開化のかけ声のもと、お雇い外国人教師から、科学から芸術まで原語で学んだのがそのはじまりです。当時の日本は西洋科学に100年遅れていると言われていました。日本語で勉強したくとも、訳すべき日本語もなく、そのため原語を日本語に訳す為に、多くの用語が造られた時代です。そして日本人は漢字の意味を正確に理解し、欧米の単語も正しく理解し、新しい日本語を作り出す事にも貢献したのです。

 今からみれば、愛橘博士達が学んだことは、本当に基礎的なものでした。まともな実験設備さえ無い状態で、ただ教わるまま、手探りのように日本の科学・物理学は始まったのです。外国語を日本語で表現し、教えるための苦労も随分あったらしいです。

  だが、日本は博士たちの努力で、30年後には西洋に追いつき、50年後には世界に肩を並べる発展を遂げました。その間、博士は多くの人材を育てたのです。そして60以上もの国際会議に、日本代表として出席し、当時の著名な科学者達と交流をもったことも忘れてはなりません。愛橘博士は、欧米各国に、日本の存在を強く印象づけた人物でもあります。

博士は、渡航するたびに、欧米の最先端情報を日本に持ち帰り、これを広め、学問や技術の、多分野に渡って貢献しました。時には、当時の最先端機械などを、海外から購入する役割も果たし、工業の発展にも力を貸したのです。

 博士の郷里にある旧制福岡中学は、博士の好意により日本で三番目のラジウム実験校となりました。明治43年の出来事ですが、その経緯は次回公開予定です。。

 


いろいろ教えて頂いた中村誠氏のサイトを参考に作っています。

http://www.noii.jp/com/aikitu/



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