「時空を越えて」

 平成15年1月25日(土)、水沢駅前「たからや」で小さな集まりが行われた。昭和55年7月29日に、夏の甲子園出場をかけて激突した福岡高校と水沢高校の関係者が集まった。この集まりを行うきっかけは、時空を越えたある出来事が発端となった。

 昭和54年秋、秋季新人戦が一関市を会場に行われていた。当時、県内で部類の強さを誇っていた福岡高校であるが、その行く手を阻むべく立ちはだかったのが水沢高校であった。この大会も準決勝で対戦が組まれた。 両校とも順当に勝ち進み、予想通りに準決勝で対戦することになった。
 相手が水沢高校とあっては、野球の試合もさることながら応援でも負けるわけには行かない。学校の反対を押し切り(要は学校には黙って)新応援団幹事3名が一関に駆けつけた。試合は投手戦となり、延長11回で福岡高校が1点差で勝利をものにした。水沢高校とのエール交換も終わると、すぐに一関工業高校との決勝戦が始まった。
 決勝戦の会場は一関工業高校グランド。当然のことだが相手は200人以上の応援団。こちらは3名で頑張っていた。すると水沢高校の生徒が数名我々の傍にやってきた。「一緒に応援させてください」といった。もちろん応援歌などはわからないのでエールや叫ぶだけの応援ではあったが、我々も彼らもそれなりに盛り上がって応援をした。彼らの応援もあって決勝戦も4−0で勝利し、福岡高校野球部は東北大会出場を果たすのである。
 本来であれば、その時に名前を聞き御礼するべきであった。しかし、名前も聞きそびれ御礼もできないまま彼らと別れてしまった。以来20数年間その時のことが心に残っていた。

 その後も水沢高校との激闘は続き、冒頭の通り昭和55年夏の岩手県大会決勝でも最後の戦いをすることとなるのである。決勝戦は、福岡高校・欠端投手と水沢高校・大槻投手の投げ合いとなり、2−1で福岡高校の勝利となった。

(昭和55年7月29日の決勝戦のビデオを見る両校野球部・応援団関係者)

 何かのサイトの掲示板に、昭和54年秋の出来事を書き込んだ。数日後、その当時の当事者からメールが届いた。その後はトントン拍子に話が進み「飲み会」が行われることになった。当時の御礼の意味を込めて、水沢に遠征?することにした。奇跡的な、そして感動的な話だった。

 野球部、応援団リーダーが約30名ほど集まった。当時の両校監督も来てくれた。当時の話題で盛り上がり、当時と変わらないエールの交換が行われた。次も交流会を開くことで話がまとまった。結局彼らとは朝の4時頃まで飲み明かした。

 「良い時代に、良きライバルに巡り会えて幸せだった」が参加した全員の思いだったようだ。

 最後に・・・・
 昨年の夏、水沢高校のエースとして活躍した大槻投手が亡くなった。40歳での早すぎる死である。おそらくは今回の集まりも彼が導いてくれたのかもしれない。
 

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