陣場台熱球録 web版 その17

 福中野球部の安達部長は、大正15夏の大会に敗れた不運を何とか払拭しようと苦心した。小向八郎や天知俊一の教えを守り猛練習を重ねた。夏から秋にかけての練習試合では連戦連勝を続け、来年こそは甲子園と地元の期待も高まった。

 誰からともなくユニフォームを変えようと提案された。それというのも、盛岡中学も早稲田カラーのユニフォームであり、福中も「FUKUOKA」で早稲田カラーであり試合中に混乱が生じた。安達部長は当時の強豪和歌山中学の「W」のユニフォームを意識して「F」一文字を採用しようと考えた。しかし、左右対称ではなく、何となくしっくり来ないと感じていた。どうしたものかと思案しているときに、「日本式ローマ字に改める建議」のことを知った。

 大正15年12月、田中舘愛橘や山川健次郎を中心として「鉄道駅の標記を日本式ローマ字に改める建議」がなされた。地元の福岡駅も「HUKUOKA」と表記されるようになった。

 「これだ」と閃いたのが「H」のユニフォームだった。早速、昆監督に相談し「H」のユニフォームを採用することに決定した。昭和に入り「H」のユニフォームとともに福中野球部の活躍が始まるのであるが、この「H」一文字のユニフォームは後年何回となく話題にのぼるのである。

 この「H」のユニフォームは、大正12年(1923)夏に小向八郎が東北予選出場を果たせなかった時に、福中生徒を引き連れて八戸の実業団大会に出場し優勝した縁起の良いユニフォームであった。この際には、福中OBチーム「日ノ出クラブ」として実業団体会に出場したが、実質は福中生主体のチームであった。

OBチーム「日ノ出クラブ」 大正13年8月

中列向かって右から5人目が安達部長 昭和3年
南部美人 ALL KOJI 2006 500ml 

目次に戻る

inserted by FC2 system