陣場台熱球録 web版 その14

  明治時代の初対戦から連敗すること13試合、盛岡中学からはなかなか勝利することができなかった。大正末期の盛岡中学は、既に甲子園に出場すること3回、ベスト4にも2回進出するなど東北随一の名門として君臨していた。盛岡中学から勝利することが、甲子園に出場することと並んで大きな目標であった。いよいよその瞬間が訪れたのである。

 大正13年10月26日。この日は福中グランドに固定式バックネットが完成したのを記念して完成祝賀試合が行われた。この試合の相手として盛岡中学を招いたところ、快く承諾し審判まで連れて来るという熱の入れよう。校庭に集まった観衆は約1000人、学校創立以来の試合とあって熱狂した。

 不来方クラブの阿部、宮野両氏の審判により午前10時に試合開始。福中先発中津川投手の左腕は冴え三振16個を奪い、許した安打はわずかに2本。対する盛岡中学先発の松原投手に対し、福中打線は三振7個を奪われたが安打5本を奪った。試合は4−3で盛岡中学を破り歴史的な勝利をする。それまでの練習試合では13連敗と歯が立たなかったが、これにより選手一同は強い自信を得て更なる練習に励んだ。

 当時を知る人の話では、審判団の公正な判定、盛岡中学吉田選手の「本番では絶対負けない」という言葉、試合終了後に行われた両校選手が健闘を称え合う姿が印象的だったということである。しかし、大正14年〜15年にかけての公式戦では盛岡中学に敗退。依然として盛岡中学は大きな壁として立ちはだかったのである。

 また、この試合での勝利後に初めて「凱歌」を披露した。この年の春から正式に応援団組織を編成し、各種応援歌を制定し練習を重ねて来たのであった。




盛岡中学から勝利した大正13年のメンバー



凱歌を披露した後に記念撮影する応援団幹事

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