陣場台熱球録 web版 その8

 明治39年に野球部が正式に認可され、青森県立第二中学(後の八戸中学)との春夏の試合が年中行事となった。明治末から大正10年頃にかけては、福中の象徴である「三葉の松」を「さんようのまつ」と読んで胸にSANYOのユニフォームを採用した。 対外試合には「三葉倶楽部」として参加し、福中の意気を示したものだった。

明治末から大正初期にかけての福中ユニフォーム

福中生(福高生)の歌 (大正13年制定)

三葉の松の繁る福陵に
学びて我らここに深星霜
母校の務めを負いて立つ時は今
聞けよや意気満つ
我らが雄叫びを

目次に戻る

inserted by FC2 system