陣場台熱球録 web版 その5

 明治39年6月、東京大学総長を退任したばかりの山川健次郎博士が田中舘愛橘博士の郷里を見たいとのことで来福された。その際に福中で講演し、「学生は大いにスポーツに励むべし」との言葉をかけて下さり学校側も野球部を渋々承認した。 「勉学も疎かにしない」事が条件だったらしい。この条件により生徒間には野球をやりたいために今まで以上に勉学に励むという副産物を生んだ。

 「私がなぜこの町に来たのか解るか。この町からは田中舘愛橘君が出ているんだぞ。田中舘君がどんなところで育ったか知りたくて来たんだ。君たちも田中舘君のようにしっかり勉学に励む事だ」と熱弁した。



会津出身の東大総長
山川健次郎博士

 
 山川健次郎は会津藩白虎隊出身の日本物理学の開拓者で、田中館博士の直系の師でもある。日本で最初に博士号を授与された人物で、明治期の薩長政府の干渉をはねのけ「学の独立」を守った公選制では初代の東大総長だ。田中舘博士より2才程年長である。三段論法的に行けば、福中野球部は田中館博士によって正式に認可されたことになる。

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