陣場台熱球録 web版 その4

 旧制の福岡中学の初代校長・青木欣四郎は、南部藩槍術師範の家柄で下斗米将真(相馬大作)の大ファンであった。福中開校と同時に福井県の武生中学から赴任してきた。福岡中学開校を聞きつけ自ら志願しての赴任であった。福中開校と同時に、生徒間で野球が行われたが校長は西洋のスポーツということで公認しなかった。青森二中(八戸中学)との対抗戦に出場した生徒を停学処分にしたりしたが、生徒の野球熱はやむことはなかった。

 しかし、明治39年に前東京帝国大学総長・山川健次郎博士が福中で講演し、「学生は大いにスポーツをやるべきだ」との訓辞をいただき野球部を正式に公認した。後年は、野球の研究のためにルールブックの原本を取り寄せて研究する田中啓一郎などの野球部員に感心し、ポケットマネーから部費を捻出し、福中野球部の礎を築いたのであった。
 「どうせやるなら天下一を目指せ!」口癖であった。

 後年の福中生は、伝説の校長・青木欣四郎を偲び応援歌にその名を残したという。(小保内樺之助氏が後輩の内村一三氏に助言)
 

福岡中学(高校)第一応援歌

福岡高校(中学)は陸奥の国
猛者が棲む
折爪下のブッカレ校舎
コチャ三葉の木陰で
真理説くコチャエコチャエ

福岡高校(中学)は陸奥の国
朝日山
夕焼け小焼けのするところ
コチャ牧草かたしき
詩集読むコチャエコチャエ

福岡高校(中学)は陸奥の国
青木氏
三綱五目を旨として
コチャ学府の基を
残し行くコチャエコチャエ

 

福中初代校長・青木欣四郎夫妻




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