陣場台熱球録 web版 その3

 小保内弘四の祖父は小保内熊太郎で号を東泉と言った。熊太郎は会輔社の創立者小保内孫陸の弟である。熊太郎には子供が無く兄の子である喜代太を養子とした。喜代太は小保内定身の弟である。

弘四は明治11年(1878)に生まれた。弘四が生まれた頃の喜代太は、会輔社の教師として化学・洋算などの新しい学問を近隣の若者に教えていた。弘四も岩手師範学校に進み教師の道を目指した。岩手師範学校に通った時期は、ちょうど盛岡中学と岩手師範学校の対抗戦が活気を帯びた時期である。自身も野球に熱中したようだ。



小田島権五郎

 明治33年(1900)、小保内弘四は正式に福岡小学校へ教師として着任。授業に野球を取り入れたことにより、児童の間に野球熱が急速に広まった。当時、福岡小学校に通っていた本校第2回の卒業生の小田島権五郎(後の国立盛岡病院長)氏によれば、小保内先生から野球を教えていただいたこと、生徒が野球に熱中したこと、ボールは長嶺の皮師に鉛の芯で作って貰ったことなどを本校の60年記念誌の座談会で語っている。当時は「野球」とは呼ばず「ベースボール」又は「ベース」と呼んでいたようだ。
 
  

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