陣場台熱球録 web版 その2

 明治29年頃、岩手師範学校に通う小保内弘四は福岡に帰省するたびに福岡小学校の生徒に野球を指導した。その教えを受けた児童が福中に入学し、自然発生的に野球部(同好会)を作り青森県立第二中学(八戸中学)と対抗試合を行うようになった。

 小保内弘四の父は誰あろう小保内喜代太である。福中一回生らによれば「弘四先生は子供の頃からベースに親しんだ」らしいことを回想している。当時は野球とは呼ばずベース」と呼んでいたらしい。明治11年生まれの弘四先生が、子供の頃から親しんだとすると明治10年代には間違いなく野球が二戸地方に伝わっていたことになる。

 また、二戸地方で野球が行われた最古の記録は明治33年の福岡小学校である。
                  


明治44年8月、南部候が福岡を訪問した際の記念写真。後列向かって右から7人目が小保内弘
後列向かって左から3人目が川島一郎で(明治21年頃には野球が行われていたとの証言

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